| 2001/02/23 |
私達は、実は素晴らしい未来を手にしていますが、残念ながら、そのことを理解できていません。それは、私たちが、夢から距離を置く今の生活を、現実だと思い込んでしまっているためです。 これから5回に亘って、光ファイバ網を機軸に、その未来と夢の話をします。 第1回目は経済の視点から、2回目は政治、3〜4回目は近未来の話を交え、5回目には、それらをまとめたお話しをする予定です。
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| 2001/02/23 |
まず、想像力を膨らませて、光ファイバで全ての端末が繋がれた時をイメージし て見ましょう。 光ファイバで端末が繋がれていると言うことは、電話線ではありませんから、当然、常時接続が前提になります。 そして、例えば、私と母親が光ファイバで繋がると、いつでも必要に応じて、相手の顔を見ながら通信が出来ます。つまり、テレビ電話と言われるものが現実になり ます。それが、従量制ではなく繋ぎっぱなしでも料金が変わりませんから、何かで制限しない限りは、鬱陶しいものになる恐れも?あります。 また、自分が行きたいところや心に残るような場所の今を、動く壁紙として画面上に表示しておくことも出来ます。つまり、双方向性とは言いますが、その実は私達端末が主導権を握り、その人が選択した情報だけを入手したり、やり取りが出来るメ ディアが登場するわけです。 誰も中間を取り持つ必要がなく、個々の端末が直接的に選択される相手と繋がるのです。 そして、その延長上で、私達はその時の最新のテクノロジーと繋がり、共に歩むことが可能になります。 それが、私のイメージする光ファイバで繋がれたインターネットです。 日本政府に言わせると、IT先進国を目指し、2005年までに1000万世帯に 光ファイバを、残り3000万世帯にADSLやケーブル網を整備するとのことです。なんと夢のない話でしょうか? これほど技術革新の目覚しい時代に、5年後にさえ日本全世帯に光ファイバを引く国力すら、日本にはないのでしょうか? 少し話が飛びますが、後で関連がありますので、お付き合いください。 日本は景気が悪いことになっています。でも、それが単に心理的な問題であるということに気がついている人は多くありません。 確かに、一番経済を引っ張る年代が、バブル時の住宅ローンに足を取られて身動きが出来ないということはあります。でも、バブルにはまった人達以外は、別に意気消沈するほどの変化があったわけではないのです。 それにも関わらず、消費者マイン ドが冷え込んだままでいるのは、自信喪失が要因です。 私達は<親方日の丸>と呼ばれる健気な忠誠心を日本に注ぎ、戦後の復興を成し遂てきました。 それが、まるで一回のバブルで、飛び散ってしまったかのように語 られれば、誰でもショックを受けます。そして、この期に及んでも、景気のてこ入れに旧態依然たる公共事業しか持ち出せない政治家達が政権を維持していますが、この繰り返しに多くの人が絶望感を抱いています。 もっと未来を明確に照らし出すようなことができないのか?それが多くの人が抱く 素朴な疑問です。 日本には1200兆円と言われる個人資産があります。 これだけのお金を持っている国民は他にありません。その人達が自分の国を不況と思い、蓄財に励み、お金を使おうとしません。 一方アメリカは貯蓄率は非常に低く、稼いだお金以上を消費しようとするといって、よく日本と比較されます。 そのアメリカが近年好況で世界経済の牽引役と言われてきましたが、それにも陰りが見えてきたようです。 しかし、不況の日本としては、輸出が唯一の頼みで、アメリカの好景気が続いてくれないと困るという考え方が一般的です。 つまり、アメリカ人が後先を考えずに、もっと消費に走って欲しいと真顔で念じているのです。 でも、この話はどこかおかしくありませんか? 経済は最早グローバル化しています。 日本人が後生大事に抱え込んでいる 1200兆円にしても、日本の地から湧いて出てきたものではありません。確かにそれは私達が汗水して稼ぎ出したお金ですが、もともとはアメリカやアジアや ヨーロッパ・アフリカにあったお金です。 それを集めるだけ集めて、バブルの時だけは不動産や飽食の為に使ってみたけれど、そこで少しばかりの火傷をしたら、慌ててもとのしまり屋さんに戻ってしまったのです。 お陰で日本は不況です。 でも、この不況は自分でそうしているだけなので、それに気がつかない以上抜け出す術はありません。そして、経済がグローバルに動いている限り、ことは日本だけで済まないことは言うまでもありません。 経済は数字です。誰かが稼ぐだけ稼いで、吐き出さなければ回りません。 儲けた人がお金を投資するとか、有効に使うとか、浪費するとか、寄付するとか、何にせよ貯蓄以外に使って、初めてお金は回っていくものなのです。 日本ははっきり言って、世界経済のつっかえ棒です。その日本が、アメリカだけに 消費を頼んでいては、アメリカが躓いた時には1200兆円を抱いたまま、それが紙切れになるのを黙って見ていることになるでしょう。 さて、話を元に戻しましょう。 私達は、たとえそれが時代遅れと呼ばれ様とも、一つの目標に向かって力を合わせることが得意です。それが、良くも悪くも世界に稀 な均一化を織り成し、日本の力を構成してきました。 私たちは、この利点を大いに活用し、新たな世紀に乗り出して行くべきです。 その意味で、世界に先駆けて光ファイバ網を日本中に張り巡らせるという事業は、とても日本的で魅力のあるものだと私は思います。 いち早く光ファイバ網を張り巡らせることによって、それを前提とする様々な事業の開発に着手することが出来ます。 そこから生まれる産業は、グローバルな観点からも、全てが十二分な必要性を持ったものになることは、いうまでもありません。自分達しか持ち合わせていないアドバンテージを活用して、誰もがお金を投じたくなる分野の産業を、大きく育てることができるのです。 しかし、そこに生じる本当の変化は、予測をしないところで花開いていきます。 個々のパーソナリティーの違いを映した豊かなビジョンを発現できる世界が、目の前に拡がり始めるのです。 それは、いずれ、私たちが探し求めてきた<人間の存在の意味>を明らかにしてくれるものとなるでしょう。 全ては今私たちの手の内にあります。 後は、ほんの少しだけ発想を変えて、本当にそれが欲しいと念じるだけ。 狼煙は、その想いをネットワークしていきます。
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| 2001/03/02 |
次に、どうやって<光ファイバ網>を実現するか?という話をしましょう。 私なら、ここで政治を利用します。それは、これからお話しするように、インターネットと政治がとても相性が良いからです。 話しを分かりやすくするために、まず「政治」を定義しましょう。 政治とは、自分達の将来を決める手段です。 分かりやすく言うと、自分達が納めた税金を使って、どういう未来を作るかということを決めるのが政治です。 しかし、実際には、どういう未来を作るか?ということは脇に置かれ、それに必要な建造物やそれに掛かる費用や誰がそれで儲けるか?ということが政治と思われてきました。 でも、それは間違いです。 しかし、何故こんな単純な間違いがまかり通ってきたかというと、政治が常に一部の人々もので、誰もそれ以外の政治の姿を見たことがないからです。 それは、民主主義であれ、共産主義であれ変わることはありませんでした。そして、政治の本質は誰からも忘れ去られてしまったのです。 政治の変質を決定付けたのは、トリックでした。 「自分達の将来を決める手段なのだから、全員で参加して決めるのが民主的だ」という考え(直接民主主義)がありながら、いつのまにか「それは、非効率だし、物理的に不可能だ」という考えに(間接民主主義)一蹴されてしまったのです。 政治を司る一部の人々によって、それがあたかも唯一の選択肢であるかのように扱われ、正当化され続けてきました。 ここで少し仮定の話をします。 勿論<こうしたら>とか<こうしていれば>という話に意味はありません。ただ、話しを解りやすくするためにします。 もし、直接民主主義が効率の悪さを度外視して、どこかで根付いていたとしましょう。通信技術の度合いにも拠りますが、その行政単位は非常に小さいものからスタートしたでしょう。 直接民主制では代表者を立てません。そこで、選挙権は男性だけのものではなく、 当然女性も権利を持ちます。 おそらく、子供も15歳くらいで「お前も将来を背負って立つのだから、選挙権を与えよう」ということになったのではないでしょうか? こういう体制の中で、近隣との紛争を武力で解決しようという判断は成されたでしょうか? 武力を問題解決方法とするのは、「おとこの面子」という要素を無視できません。 決定に女子供も加わった場合に、同じ答えが出てくる可能性はないと言っても過言ではないでしょう。 また、全員参加が前提のシステムで、誰かが利益を独占することは可能でしょうか ? もし、出発点において、直接民主主義を根付かせる動きがあれば、近代史も違ったものになっただろうと思われる所以です。 いずれにせよ、判断したことへの責任は非常に大きくなりますが、社会と個の一体感は強烈なものになり、責任転嫁が意味を持たなくなるような社会が現出していたことでしょう。 一方、老朽化した間接民主主義は、矛盾が噴出し続け、火だるまと化しつつあります。 結局、当の政治家も政治の本質を忘れ、<責任を取る>という行為が消えうせてしまったのです。 しかし、それは政治家に限ったことではありません。 私を含めて誰もが、意志決定との関わりを間接的にすることによって、自らの責任を棚に上げる術を身につけてしまったのです。 私達には、本来あらゆる事象に対しての責任があります。 <自分の将来を決める手段>を直接から間接にすり替えてしまったことのつけを払い、今一度責任と対峙することが求められています。 さて、インターネットと政治の相性が良い理由を明らかにしましょう。 それは、直接民主主義を一蹴した「非効率だし、物理的に不可能」という論拠を成り立たないものとする力をインターネットが持っているからです。 「非効率で、物理的に不可能」と いうマイナス点がなければ、「自分達の将来を全員が参加して決める」以上に良い方法があるとは思えません。 つまり、インター ネットは政治の本質を、本質のまま成り立たせることが出来てしまうのです。 政党というものがあります。政策や主義主張の一致した人々が、その政策を実現するために組織する団体を指します。 でも、100の課題があったとして、各政党員にそれに対する答えを選択形式で選んでもらった場合、その共通項を政党別に括ることは出来るのでしょうか? 間接民主主義の問題点はここでも露呈します。 つまり、多様化している個々の価値判断をどこかに集約することなどできるのだろうか?また、その必要などあるのか?ということです。 100の課題を一挙に解決しようとするのではなく、各々の課題を国民投票していくシステムを作り出せば、それが民意を正確に映し出すことになります。 一方、政党別に答えを集約しなければならないとなると、どう考えても自分の考えがうまく反映されるわけがないと、誰もが思うでしょう? 政党離れという現象の根はここにあります。 そして、私が利用したいと考える政治とは、この誰もが疑問を持つ今日的な政治状況のことです。 全ての端末が光ファイバで繋がれると、直接民主主義は一挙に実現可能な制度となります。 <自分達の将来を自分で決める>こと以上に、私達にとって重要なことははたしてあるのでしょうか? 是非そのことを考えてください。 政治的な主張の違いは問題ではありません。多くの場合その違いは、個性や性格的なもので、直接民主制は、それらの違いを全て受け入れることができます。 問題は<自分達の将来を自分で決める>手段を得るという一点にあります。 そして、それに気がついた人から、あらゆる選挙の場で<光ファイバ網>を候補者の踏絵として行くのです。 なんなら、光党を作っても良いでしょう。 この党は光ファイバ網を構築し、直接民主主義を達成させたら、役目を終えますから、そのための野合連合で十分です。 いずれにせよ、自分達が無欲に動くことさえ出来れば、圧倒的な無党派という民意を <光ファイバ網>に集約させるできるものと考えています。
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| 2001/03/16 |
モニターには、都市とそれを埋め尽くすような猛烈な雪が映し出されている。 モニターの示す時は2019年9月10日、場所はニューヨークとある。 全く前兆がなかった訳ではない。 そもそも私たちが生きている時代は、約240万年前に始まった更新世氷河期に属している。 氷河期には、活発な氷河の前進の見られる氷期と、比較的温暖な間氷期があり、人類の文明はこの間氷期に勃興期を迎えた。 完新世と呼ばれたこの間氷期は、約1万年続いた。 更新世氷河期の1回の氷期サイクルは12万5000年、対する間氷期のサイクルは1万年(過去4回は8000年〜1万2000年)というデータがあり、モニターに映し出されている光景は、この統計が間違っていないことを証明していた。 統計上の危険性ばかりでなく、北大西洋での深層海流の沈み込みの減少は、氷期の訪れを警告しているという指摘はあった。 また、二酸化炭素の増加による温室効果と沈み込みの減少を関連づける考えも、広く受け入れられてはいた。 2007年を境に続いた寒い冬は、当初異常気象の一つと考えられていた。 だが、その気候が、寒さの極に向けて終わりのない進行を続けている最中であることが確認されたのは、2015年になってからだった。 モニター画面上に人の気配がないのは当然で、各都市は3年ほど前に放棄され、少数は地下にスペースを求め、他の大多数は移住を余儀なくされていた。 氷河期というと、地球のあらゆる地域が凍てついてしまう印象を持つかもしれないが、そうではない。 北極圏に広がる氷床が、高緯度の地域に進出し、時に低緯度地域をも脅かすが、直接的な脅威は温帯地域までに限られている。 但し、皮肉なことに先進国と呼ばれていた国々の首都は、おおよそ直接的で壊滅的な影響を受けた。 また、工業のみではなく、農業においても世界を牽引していたアメリカが受けた打撃は、世界中に深刻な影を落とした。そして、何よりも住む土地を失った多くの人々の移住とその受け入れが、人類全体を大きく揺るがすことになった。 氷河期と人類は密接な関係にある。 密林で他の動物たちと変わることのない生活を営んでいた人類の祖先の地を、否応なしに樹林や草原地帯に変えたのは、氷期の訪れだった。 勿論、様々な環境の変化を克服するだけの資質を、私たちの祖先が持っていたことが重要なことは言うまでもない。 だが、氷河の成長と後退に伴う著しい気候変化を乗り切る必要性に迫られなければ、私たちはいまだに密林で生活をしていたかも知れない。 学習能力や集団性・組織性・計画性・意思の伝達能力等々は、氷河期の為に野に追われた祖先が、肉体や運動能力のハンデを埋めて、集団で狩をすることで磨かれ、気の遠くなるような歳月をかけ、私たちにまで伝承されてきた。 だが、新たな氷期の訪れは、今までとは質の違う変貌を人類に求めていた。 自らの地を後にしなければならない人々は、氷河に追われるように南下を続けたが、すぐに立ち塞がる国境で、足止めをさせられた。 カナダはその全域、アメリカは北半分、ヨーロッパではイギリスや北欧諸国がそれぞれの地を放棄せざるを得なくなっていた。 国境近くでは、飢えや寒さからくる不安や絶望が増幅しながら、極限に達しようとしていた。 もし、日本行政府から発せられたあのメッセージがなければ、事態は思わぬ方向へ進んでいったかもしれない。
このメッセージは、インターネットを通じて瞬く間に世界中に向け発信された。 地上の電線も 電話線もいたるところで寸断されていたが、地中に埋められた光ファイバ網と7つの静止衛星は、世界を結び、地下にスペースを求めた人々との交信も可能にしていた。 日本行政府とは、2006年に完了した国内の光ファイバ網を受けて、2012年に 発足した直接民主制を支える行政部門で、国民投票で決定される政策を遂行する組織である。 発足してわずかだったが、有事に対する日本の対応の速さは、世界中から定評を受けるに至っていた。 メッセージに対する各国の反応は、非常に迅速だった。 だが、誰かが答えを出してしまえば、その取捨選択に時間は不要だった。 (資料:シリーズ<ライフ地球再発見>氷河時代) 寒い近未来編はここで終わります。 この近未来は、あまり上手ではない作り話です。 その時、私達はどのような対処が出来るのでしょうか? 私達は、十分なテクノロジーを持っているのに、それを使いきる術をまだ持ち合わせていません。 氷期の再来に限らない地球規模の異変や危機は、私達がその術を身に付けるまで待ってくれるのでしょうか? 光ファイバ網を敷きつめられる力を持った国は、いくつもありません。 そして、仮に日本に光ファイバ網が完備されても、それがテクノロジーを使いきる ことに直結する訳でもありません。 しかし、一歩を踏み出さないと見えてこない地平があります。 誰が、いつ、どこでその一歩を踏み出すか? あなたが、その一歩を踏み出さなければ、代わりに誰かが踏み出してくれるわけでないことだけは確かです。 宝の持ち腐れにならないように、ちょっと寒い近未来の話をしました。
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| 2001/03/18 |
細い木をまばらに組んだだけの家には、ハンモックが括りつけられている。 海岸の小高い丘にあるこの家は、壁を通しても外の景色が素通しなので、退屈することなく、日長一日を過ごすことができる。 ハンモックに身を委ねながら望む風景は、海が地球の丸みを帯びるまで続ていて、その水平線に時折貨物船が現れては消えて行く。海の中央辺りでは、鯨が潮噴きを繰り返し、海岸線に近いところでは、波が最高潮に達した時、後ろからの日の光を受けて魚が横切る姿が見えることもある。 その辺りには、獲物を狙って超低空飛行や海に突入する動作を繰り返すペリカンや小魚を追う鳥達がいる。そして、ここでは浜辺を散策するのは人間だけでない。牛や馬やヤギ達もそれぞれ が入れ替わり立ち替わり、ゆっくりと砂浜の感触を楽しむように散歩をしている。 このノアの箱舟を彷彿とさせる場所は、架空のものではない。メキシコはアカプルコの南300キロにあるシポリテという小さな村で、モニターにはその光景が映し出されている。 2006年。世界中の主要都市では、インターネットを光ファイバで利用するのが、常識化していた。 そして、通信衛星を利用して、異なった文化の異なった時間を疑似体験する通称<ガイアの一日>を利用する人の数は、相当数に登っていた。 これは何ということはない。世界中に据えられたカメラが映し出す風景を、軌道上の7つの静止衛星が捉え、無数にあるポイントから、利用者が好きなものを選び楽しむという仕掛けである。テレビ番組と違って、ナレーションも解説もドラマもない。 だが、それがかえって自分達の持つ時間や習慣との違いを際立たせて、日本人にもファンが多い。 この通信衛星と光ファイバの組み合わせは、世界を大きく変えようとしていたが、この衛星には、狼煙が関わっていた。 2003年。日本の光ファイバ網計画は、大きな前進を見せていた。ISDNやADSLの寄り道を排除して、日本全土に光ファイバを敷きつめる決定がなされたのだ。 そして、満を持していた狼煙は、時を同じくして新たな<のろし>を上げることとなった。 それは名付けて「衛星計画」、そしてこの計画こそ狼煙がもともと目指したものだった。 計画は、他愛のない夢物語だった。 インターネットを有効に使うためには、衛星は不可欠で、「ひも付きでない衛星をみんなで打ち上げて共有できないか?」という発想が発端だった。
誰もが苦笑するだろう「衛星計画」を、私たち狼煙はまじめに考えた。そして、「いきなりこのプランを持ち出しても、笑われるだけだ」と結論したが、同時に自分たちの信頼さえ作り出すことができれば、「このプランだって、決して夢物語ではない」と信ずるに至っていた。 そして、2003年。狼煙は光ファイバー網建設を通して「どうもこの連中には欲がなく、非営利で物事を考えているのは本当らしい」という信頼を得ていた。それが功を奏して、「のろし」に対して、世界中のNGO(非政府組織)とNPO(非営利組織)が呼応してきた。 NGOもNPOも既に国という単位を離れ、地球規模の活動を展開している。様々な価値観に触れることを常にしている人々にとって、衛星を共有する意味は、説明する必要もなかったようだ。 他愛のない夢物語は、世界中の人々から支持され、いきなり現実となった。 一種のブームだったかも知れないが、実際に衛星が共有され、それを通して居ながらにして世界中の一日を体験した人々からは、「もっとたくさんの衛星を打ち上げよう」という威勢のいい言葉が寄せられていた。 仮に日本の人口に匹敵する人々が、日本円にして1,000円の出資をすれば、5〜6機の衛星が打ち上げられる。「それなら、何も遠回りしたり、待ちぼうけを喰らうまでのことはない」という単純な道理も多くの人の理解を得る要因となった。 国・宗教・民族・人種の境を越えて、打ち上げられ、共有されることとなった衛星は、私たちに地球全体を一つのものとして認識する術を示した。 衛星は、文字通り地球を映す鏡として、また、その存在を意識する全ての人にとって、自らを写す鏡となっていた。
前回は少々寒すぎたので、今回は暖かい作り話にしました。
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| 2001/03/18 |
権力とは、何に根ざしていると思いますか? 政治でしょうか?経済でしょうか?それとも、技術でしょうか? とにもかくにもこの3つの事柄は、長い長い間、ほんの一握りの人達に独占されてきました。 しかし、常に権力を支える一角であった技術が、公開され開放され始めました。 それを推進したのは、他ならぬインターネットです。 リナックスというOSをご存知でしょうか? 北欧の青年が開発したコンピューターのオペレーションシステムです。 このOS としては、マイクロソフト社のウィンドウズが有名ですが、コンピューターにはなく てはならない基本ソフトです。 そのため、今のコンピューター・市場主義社会で は、巨万の富を生み出す打ち出の小槌となっています。そして、マイクロソフト社は、この小槌を巧みに使って、瞬く間の間にマイクロソフト帝国を築き上げてしまいました。 この帝国に敢然と反旗を翻したのが、リナックスです。 リナックスはオープンソースと言って、オペレーションシステムの全てを公開し、世界中の技術者にOSの改良やさらなる開発への参加を求めました。 今のところは、流石に金に糸目を付けないマイクロソフトが優位を保っていますが、この形勢はいずれ逆転します。 私たちは、権力の一部が突然与えられたことに、戸惑いを隠せない程の赤子状態です。 奴隷が解放されても、精神的な解放を得るまでに時間を要するように、私たちにも時間が必要です。 しかし、時間さえ経てば、私たちはその意味することが理解できないほど、無知ではありません。 光ファイバを敷き詰めることができれば、一旦開放された技術を権力がまた奪い戻すということは、不可能になります。 光ファイバを活用する事によって、メディアは一方向性しか持ち合わせないテレビに変わり、双方向性を持ったインターネット へ移行するからです。 最初にも述べましたが、双方向性のメディアの基点は、無数の端末側が握ります。 すると、テレビの持つ宣伝・啓蒙といった一方向からの価値観の放出は封じられる ことになります。 権力は自らの情報操作からも閉め出され、その存在意義を叫べなくなってしまうのです。 『暖かい近未来編』で私たちは、私たち全員が共有する衛星を打ち上げました。 リナックスが技術を開放するに止まらず、新たな技術革新を世に問うたように、通信の根幹となるインフラ自体を私たちが握ることにより、意識の革新を世に問うこと となりました。 そのことにより、経済も政治も大きく揺さぶりをかけられました。国や既成概念を少し脇に置くことがでできれば、私たちは地球規模で必要なものを共有することができてしまうのです。 そして、その共有できるものとは、私たちが今までは触れることもできなかった権力そのものなのです。 Power to the people. 私たちは、その実態を掴むことになります。 |
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2001/03/18 |
禅は、西洋的な二元論の善と悪、正と誤、陰と陽という対立する二面性で物事を見るのではなく、「全体を丸ごと掴め」と教えます。 二元論の表面だけを見る教えと違い、禅は物事のあらゆる面を一瞬にして看破できるように、全体を全体として捉えなさいと教えているのです。 私たちは自分たちの住んでいる地球について、一体どれ程のことを知っているでしょうか? また、この地球上にちりばめられている多くの価値観のどれ程を知り、どれ程に触れることができているのでしょうか? 私達は地球的な観点という意味で、否応もなく、グローバリゼーション(国際化)の受け入れを求められてきました。 しかし、それが単にアメリカナイズ(アメリカ 化)に過ぎないことは、透けて見えてしまうことなのに、質量ともに豊富なアメリカ版グローバリゼーションの波に世界中が飲み込まれようとしています。 情報化社会と言いながら、二元論の単純な世界観に、変化に富んだ様々な価値観や情報が飲み込まれ、消え去ろうとしています。 世界中の言語や民族的な遺産が、私たちの知らないところで、現実に失われつつあるのです。 価値観の多様性に触れると、人間の感性は否応なく豊かになります。 私たちは、気付かぬうちに、たったいくつかしかないバージョンの価値観で、物事を見ることにならされています。 しかし、実在する多様な価値観に触れると、自分たちが信じている価値観の狭さに、驚愕することとなります。 『ガイアの一日』の人気は、そこにあります。誰かが脚色したり、編集したり、フィルターを通したものでない異なった文化を目の当たりにして、自らの脳細胞が活性化しない人はいません。 しゃにむに進歩を標榜してきた私たちの価値観と、自然との共生を守り通してきた人々の価値観が、光ファイバーと衛星を通して触れ合います。 そのことによって、世界はどんな変貌を遂げていくのでしょうか? その光景を想像して、胸を高鳴らせるのは私だけでしょうか? 最後に、私が敬愛する人からのメッセージで、5回に亘った夢と未来のお話を終わらせたいと思います。 + + + ”人間、どこに居ようと、そこはすべて等しく地球の一角” ミレエは言う。「空は吾々の限界の達しないところまで遠のいている。野は大気に浴みしている。」「如何にそれは狭い小さい土地であろうとも、あらゆる眺望は無限の広がりの可能を暗示するものでなければならぬ。地平線の極小の一角も吾々をしてそれが吾々の限界を取り巻く大環の一部分であるということを感じさせるように画かるべきである。」 だから、ミレエの絵に”孤立”はない。 それはみな、大いなる全体の一部分である。 人物がミレエの絵の風景から離すことができないように。ミレエは一切のものの中に宇宙を見たようだ。 こうして私は、自分の居るところは常に地球の一角なのをさとることが出来たし、同時に何をとらえても、それは地球の一部分なのをわきまえることができるようになった。 ほこらかに言えば、地球人としての開眼である。 よって、菜の花の一茎を語っても、そこには地球が存在し、地球につながる宇宙がひかえているのを、皆さまにもご了解いただいきたい.........と願う次第である。 一九八六・四・三 牛久沼畔にて
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ジョンレノンが、88年に発表したイマジンの歌詞です。 彼の目指したものは、人々の自立です。この曲は、その後彼が凶弾に倒れ、期せずして遺作になってしまいましたが、全世界で多くの共感を得ました。 でも・・・・・この単純明快なメッセージさえも、現実世界に埋没し、人々を突き動かすまでには至らなかったように見えます。 彼のメッセージの阻害要因は、いったい何だったのでしょうか? 私は、受取手が自己表現を伝達する手段を持ち合わせていなかったのが、要因だと考えています。 歴史上、幾多の芸術家が絵画・詩・音楽・文学を通して、その時代の呪縛と化している共同幻想に挑んできました。また、多くの政治家や革命家が目指してきたものも、古い共同幻想の破壊と新たなものの創造でした。 ただ、その変革が成し遂げられたケースは稀で、それに関わることができた人も非常に少数に限られていました。芸術家には、もって生まれた素質そのものよりも、その質に執着する意識とそれを維持できる環境が求められます。政治家も革命家も、誰もがおいそれとなれる物ではありません。資質だけでなく、意識と環境が伴わなければ、志を遂げることのできないものだからです。 その意味で、私たちの歴史はとても限られた人々の、限られた成功例を基調に組み上げられてきました。逆に、その他大勢の想いを汲み上げるシステムは置き去りにされ、自己表現を伝達する手段も、万人向けのものが発達することはありませんでした。 しかし、現在に目を向けてみると、私たちはインターネットを通して、自らの想いを伝達する手段を手に入れています。私たちは自分の想いを書き綴るという、最も万人向けの手法で自己を表現し、それを世界に向けて発信できるという地平に辿り着いているのです。 でも、このことがなかなか理解されません。 双方向性のメディアの意味の大きさが理解されないのは何故か? 人々がパワーを持てば、非合理なことも、不合理なことも駆逐できます。そのことによって、例えば貨幣というものも、あるいはそれを基本とする価値体系も崩れていくかもしれません。一方的な価値体系を流し続けているメディアも、また、それによって成り立っている社会構造も変化せざるを得なくなるでしょう。 だからこそ、それを阻害する要因や力もまた大きいのです。 狼煙に寄せられる声の多くが、コストという観点から論じられています。 ただ、私はこの問題を、まず必要性という観点から論じたいのです。 必要性が理解されていけば、当然利用者が増え、コストは下がります。 また、必要性がもっと大きく理解されれば、コストは二の次という意識だって芽生えてくるのです。 単純な問いですが、何故利用者が投資コストのことなど心配しなければならないのか?私には分かりません。私たちが必要性を論じていき、それが商売になるとなれば、企業が投資をします。また、国民の大勢がその必要性に気が付き、他の公共投資よりも有効であることが明らかになれば、税金を投入することも価値が出てくるでしょう。 でも、いくら声を大にしても、誰もその必要性を認めていかなければ、税金を投入することに同意をする人も、投資をしようとする人も居ないでしょう。つまり、投資コストの話は、話が具体的になった時点で、投資する側が考慮すればよい話で、それ以前に私たちが心配するような事柄ではないのです。 私たちは、いつまでも共同幻想のメッセンジャーを努めている必要などありません。必要なことは、自分自身の内側に広がる世界に目を向け、門外不出品として封印してしまっている固有の資質を解き放つことです。 芸術家や政治家や革命家しか表明できなかった自己のオリジナルな世界。それは、意識と環境が伴わなければ、表現も伝達もできないものでした。 しかし、パソコンとインターネットが、その環境の問題を克服させてしまいました。個々の資質というものは、誰にでも備わっているものですから、残されたキーワードは「意識」だけです。 自らの意識をも大きく規定してしまっている「共同幻想」を、私たちの「意識」は乗り越えられるのか? 限られた人の理念や思想が共同幻想を乗り越えていくのではなく、多様性に満ちた各々の理念や思想が、それを乗り越えていくことはできないのか? ジョンレノンがイマジンの中で世界に問うたのは、「そのこと」でした。 |
UpDate 2001/05/18
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