山行記 沢


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2000/09/09〜11「舞茸from魚野川

 昨夜(10日深夜)からの降雨が、いよいよ本格的になってきた。「あれ!変だ!いつもの詰めと状況が違っている。」後高度、100m遡上すればオッタテ峠という地点で、その異変に気付いた。普段なら涸れているかチョロチョロ流れる最源流部が、白く泡立つ水に占拠されていたのだ。

 ここで、この文を読まれている人は???と、思うかも知れない。 沢・川は下流に行くほど水量が増え、上流部に行くほど水量も少なく、最源流部なら安全と思っているのではないだろうか。もちろん、圧倒的な水のエネルギーは下流部に軍配が上がる。しかし、沢・川が変貌するという点では、全く同じなのだ。

 11日、本流では、約20cmの増水で、薄濁りはあるものの渡渉には問題なく、帰路支流の小ゼン沢を目指した。

 今回、入渓する直前まで天気図を調べ、台風の進路が逸れるのを確信し、予報でも「大きく崩れる心配ない」との報だったので、多少の雨でも余り気のかけなかったのだが、支流に入ってから様相が変化していた。

 普段水も流れていない枝沢が、白い筋となって流入していたのだが、沢登りには特に支障無くドンドン高度を稼ぐ。そして、後高度100m、胸先八丁、登り時間にして30分辺りから、その異変に気が付いた。

 沢は狭くなり、その沢幅一杯に流れ落ちてくる水が白く泡だ立ち、ステップを隠していたのだ。

 想像して下さい。ビルの階段にゴンゴン流れ落ちる水を!水量は脛位なので、足がすくわれることはないが、階段と違って不規則な沢床を<足掛かり>で探りながら歩く手間を!岩に跳ね返った水を被り(どうせ汗と雨で濡れているが)手探りで<手掛かり>を捜す手間を!(源流部では巻き道は皆無。水の流れを避けるならば、ヤブ漕ぎしかない。雨の中のヤブ漕ぎの辛さ。判りますか?)

 結局、倍以上の時間を掛け、沢を詰めたのだが、思わぬ尖兵に不覚をとったのは否めない事実。そして帰宅後テレビで報道されていた豪雨災害。ここから僅か50kmも離れていない所でも記録的な豪雨があったとか。あー怖!背筋が寒くなった。

 しかーし!念願の舞茸の採れる木を発見しました。残念ながら、既に腐り、青カビが生えている状態でありましたが、時期さえ合えば確実にゲットできる木を遂に発見しました!

 腐る前の推定量はバレーボール大2個分。しかし木の太さから、年によってはもっと大きな収穫になりそうです。

 この木に巡り会うのに6年かかりました。ヤッタゼ!毎年この時期に入渓し、釣りは二の次、沢からヤブに潜り込み散々歩き回って見つからなかったこの繰り返しにやっと終止符が打てそうです。生来、飽きっぽいので、魚野川での舞茸探しもこれで終わりそうです。(極めることが出来ない質なのです。)

 次は何して遊ぼうかな?ワクワク。(写真と文章。愉しかったこと、怒ったこと。この後も追加していきます。)

 其の二、

 毎回のことながら、焼き上がったプリントを見て落胆。私の住んでる地域で、ポジフィルムを安く上げるには一週間から十日懸かります。

 使い捨てカメラでは、二度と出会えない光景がピンぼけ。露光不足。「デジカメが欲しいー。」でも、精巧緻密な機械は私の山遊びには馴染まない。メーカーは忘れたが、「現場監督」の銘で売っているカメラが相当なのだが、いかんせん高い!(貧乏が悪いか!開き直る)

 気を取り直して。 
 魚野川行者事件で紹介した卒塔婆が新しくなっていました。
 真新しい卒塔婆で、設置は2〜3週間以内ってところか。 そこには、「六性院常○(○:JISには無い、誉が見た目似ている。尚、六、言の併せ字)奉全居士追善菩提之宝塔。施主長野原警察」と、記されていましたが、古い卒塔婆と印象が微妙に違っていました。

 そんな場では、感覚が鋭くなっているので余計な遺志を感じてしまうのです。

今日は此処まで、なんか気を殺がれた気分です。

 

98/09/09「ガラン沢遡行」

 ガラン沢には毎年入渓するが、源流まで詰めるのは91年以来である。本流の水は強酸性で、魚の棲めない沢であるため、沢屋さんが入渓する程度で、あまり人は立ち入らない。また、相次ぐ遭難で魔の沢として知られて、地元では「おっかない所」と、印象付けられている。

 ガランとの呼称から想像できるように大規模な崩壊地があり毎年信じられないような大岩が崩れてくる。しかし、この付近では91年以降大水が出るような降雨がなかったので、渓相に大きな変化もなく一安心。

 危険な所もなく、沢登の経験があればザイルや三ッ道具等の登攀具も不要で、体力のみ要求される沢である。

  さて、記憶が薄れない内に記録に留めることにする。(ガラン沢の地図を参考にしながら読むことを奨めます)

 8:10 自宅を出発。
 馬止メまで車で行く。私の住んでいる小倉部落から白根開善学校を経由し林道に入るが、途中営林署のゲートが閉まっているので、鍵がない場合馬止メまで約一時間の徒歩を強いられる。

 8:25 馬止メを出発。
 歩道の入り口には何の標識もなく、初めて利用する人には不安であろう。途中涸れた沢の馬止メ沢を通過し、カラ松林の尾根を降下してキノコ沢に出る。この歩道は昔湯ノ沢で硫黄を採取していた時のものと云われている。

 8:50 キノコ沢着。(腹が減ったので握り飯を頬張る。10分休憩)
 キノコ沢を渡り上りあげるとミズナラの林に出る。この一帯は熊の遊び場だ。上を見上げると去年の熊棚が掛かり、木の幹にはなわばりを主張する爪痕があちらこちらにある。

 9:20 惣吉(ソウキチ)地蔵着。(10分休憩)
 途中秘密の場所で天然舞茸をゲット。歩道脇で簡単に採れる所ではありませんョ。念のため。このことを想定し60リッターのザックを背負ってきたのだが、ザックに入りきらず3分の2は後日採りに来ることにする。総量10キロはあるだろう。今年最大の収穫量だ。

 惣吉地蔵からガラン沢本流に約100m一気に下る。ガラン沢は強酸性のためか、岩が滑らない。ふつうの地下足袋で十分だ。WDシューズや渓流足袋だと山道の下降でよくスリップするが地下足袋だと快適だ。地下足袋登山バンザイ!本領発揮!

 歩き始めから1時間20分で本流に立つ。水量は膝位でいつもより多い。徒渉を繰り返しながら峠ノ沢を右に見る。峠の沢出合下流の左岸に岩小屋があるのだが、笹とイタドリに覆われ見つけづらい。

 10:05 池ノ沢出合着。(またまた腹が減ったので握り飯を頬張る。15分休憩)
 池ノ沢を30分程遡行すると周囲200m位の池が現れる。ゴフク池だ。水深は1m位で、池の中央に稲妻形の亀裂が走り、そこから水が湧きだしている。1年中涸れることのない池である。

 10:35 湯ノ沢出合通過。
 地図や登山関係の本では、ダン沢とか鯛(タイ)ノ沢等と書かれているが、湯ノ沢が正式名称である。出合には明治大学ワンダーフォーゲル部のプレート(10×20センチ)が木に打ち付けられている。この付近から硫黄臭がし、岩も大きくなり始める。出合から本流上流にピーコック碑(20×30センチ黒い石版)が沢の中央部の大岩に下流に向けて張り付けられている。

 11:05 ローソク岩着。(15分休憩)
 この付近からガラン沢の核心部となる。本流を挟んで南側を日陰(ヒカゲ)ガラン、北側を日向(ヒナタ)ガランと呼ぶ。ローソク岩は沢の中央部に立つ大岩からなるもので、高さ約15m、形状はまさしくローソクの炎である。かつて、この付近に「南無阿弥陀仏」と字を穿った岩があったと云われているが埋まってしまったのか、流されたのか今は無い。

 ローソク岩から左岸のガレ場をトラバース気味に上る。沢には大岩が累々と積み重なり水は滝をかけトンネルを穿ち、水線通しでは歩けない。中でも一番大きな岩を千トン岩と呼んでいるが、どう見ても万トン岩と呼ぶ方がふさわしい気がする。

 千トン岩を左に見、前方左岸にロープが下がっているが見える。ルートは正しいのだが、このロープを決して信用してはならない。落石で切れる寸前になっている場合があるからだ。ロープの下がっているザレ場を登り切り後ろを振り返ると、ガランの全貌がうかがえる。両サイド200m以上の荒れた崖がそびえ立った大伽藍の迫力を十分堪能できる。

 ガランの迫力を後にし背の低いツガ林の中を分け入ると4〜5人が泊まれそうな岩小屋に出る。木を組んだベットや薪があり人が暮らした形跡がある。

 昭和58年の夏、一人の青年がこの岩小屋で山籠もりをしていた。聞けば、6、7、8月の3ヶ月間一人で住んでいたそうである。超人願望にとりつかれ密教やヨーガを修行と称し実行していたらしい。折しもオーム真理教の松本教祖が、まだまともだった頃である。松本教祖と彼との修行に対する方法論は同じだったが、悟った点が明らかに違っていた。松本教祖は「金儲けになる」、彼は「時間の無駄だ」と悟った点だ。彼は現在六合村に移り住み「じねん」と名乗っている・・・なんだ、私のことだ。

 11:35 寒の風穴着(15分間温度測定)
 岩小屋の前から再び本流に降り立つ。しばらく歩くと、左岸の上方から冷たい風が吹いている所に出合う。寒の風穴だ。真夏であれば白い霧となって流れ出しているのが目視できるほどで、岩の裂け目があり、人が一人這って入れるくらいの穴が2m程続いている。

 去年の8月に風穴内部の温度を測定した時は外気温32度時、7.3度であった。今回は外気温22.1度時、7.8度で、ほとんど変化は見られなかった。次回はこの天然の冷蔵庫で冷やしたビールを飲む計画を立ててみよう。

 12:00 黒ゼンのテン場通過。
 寒の風穴を後にし、屏風岩を左岸に見、右岸を小さく巻いて降りた所がテント場として適地となっている。黒ゼンのテン場だ。15年前まで毎年明治大学ワンダーフォーゲル部がここをテン場として利用していたので、整地状態もよく快適なテン場となっている。水は少し上流に流れ出ているアミダ沢の水が飲料可だ。

 黒ゼンのテン場から少し進むと、黒ゼンが見える。落差7m直瀑の滝で、直登はかなりの技術を要する。正式のルートは右岸の崩壊地中央のガレ場を上部まで直登し途中から上流に向かってトラバースするルートだ。

 よく見るとカモシカも利用するらしく踏み後が確認できる。ここにもロープが掛かっていたが、ロープの一部が岩の下にあったため手がかりが有り、危うく信頼してしまうところであった。力いっぱい引くと簡単に抜け、もし手がかりとしてロープを握っていたらと思うと背筋が寒くなった。残置された登攀具を利用する際の基本は「信用するな」です。

 トラバースして尾根に立つと、志賀高原の遭難防止対策協会の看板(30×40センチ)が目に留まる。「あなたは、遭難しています。直ちに引き返してください。」と、書かれているが、遭難している人がどうやって帰ればいいのだろうと考えてしまった。自分が今どこにいるのか解らなくなってしまったから、遭難してしまうのでしょう?

 12:30 宮手沢出合着。(30分昼食)
 プリムスで味噌汁代わりのラーメンを作る。天気がよいので、温かいラーメンの有り難さが薄れるが、ガスコンロの貢献度は大したものである。何をするのでも焚き火で行っていた数年前の事を思えば、わずかな時間で食事の支度ができるガスコンロはえらい!

 この出合に遭難碑があったらしいのだが、今はない。宮手沢を詰めると渋峠に出られる。途中2カ所高巻きがあるのだが2度目の高巻きは、1時間の大高巻きでかなりきつい。しかし、ここからだと人界への最短ルートである。

 13:10 白沢出合通過。
 宮手沢出合からしばらくゴルジュ帯である。岩を這い上ったり、へつったりでなかなか楽しい。左側から流れ出る白沢は赤っ茶けた岩盤のナメ滝の連続する沢である。

 この白沢の水源から草津峠に向かって水路がある。俗に中電水路と呼ばれている。また、草津温泉の水源でもあり、草津温泉へパイプで送られている。

 白沢を通過すると、小滝の連続する地帯となる。その中で落差6m3段の滝が仙十滝である。

 14:00 白水沢出合着。(10分休憩)
 流れが穏やかになり空が開けたところで、右側から流れ出ている沢が白水沢である。右岸に1〜2人雨宿りできそうな岩小屋がある。左岸には平坦な場所もありテン場として使えそうであるが、増水時には逃げ場を確保する必要がありそうだ。

 14:30 草沢出合通過。
 左岸に大きな崩壊地が見えると、草沢の出合が近い。草沢は飲料可で、沢の石色も本流とは違い黒っぽく石もよく滑る。
 最後の難所、熊淵を通過するが、1カ所滝の右岸を小さく巻く程度で難なくぬける。

 15:00 熊沢出合着。(10分休憩)
 熊沢出合の赤茶けた岩に付いた苔が見事なコントラストを演出している。小さなナメ滝をすぎるとまもなく鉢山沢だ。

 15:20 鉢山沢出合通過。
 出合の直後、右岸に流れ落ちてくる落差15mの滝がある。ネジレノ滝だ。この付近から沢の水面下の石肌に湯ノ花を見るようになる。途中2カ所で左岸が地滑りを起こし渓相を変化させていたが、遡行に支障なし。

 15:45 湯ノ花沢出合着(10分休憩)
 本流は湯ノ花沢であるが、最後の詰めで根曲がり竹(チシマ笹)と風倒木で苦労した思いがあるので、横手裏ノ沢を選択する。水量はどちらも同じくらいだが、渓相が全く違う。湯ノ花沢は、狭いV字型の渓谷で、川石に湯ノ花が白く付着している。横手裏ノ沢は、開けた感じで、赤茶けた岩や石がゴロゴロしている。

 参考までに湯ノ花沢を詰めるには滝を2つほど越さなければならないが、直登できるので、それほど問題ない。忠実に本流を詰めていくと、根曲がり竹のトンネルとなり、いきなりコンクリート製の壁に突き当たる。中電水路の終点である。

 水路の終点からチョロチョロ流れている根曲がり竹のトンネルの沢を登ると、ザレ場に出る。このザレ場に付いている小道を上りあげると、根曲がり竹を切り開いた道に出る。この道を2分も歩けば草津峠に出られる。

 横手裏ノ沢へ分け入り、右側から流れ入る沢をすぎ、二手に分かれ地点に出る。通常は滝の見える右側の沢を選択する。その滝の手前で右岸のザレ場を上ると鉄鉱石の露出した所に出る。

 16:15 群馬鉄山ガラン沢鉱床露天掘り跡の下段着。(シャリバテを防ぐため握り飯を半分頬張る。10分休憩)
 ここで、思わぬ苦労を強いられた。露天掘り跡は上段下段の2段に分かれていて、その境目は根曲がり竹の藪で、以前はその藪も低く密生していなかったのだが、この7年の間にひどい藪と変化していた。

 また、理由は解らないが深さ1m位の穴が至るところにあり、疲労に加え膝に爆弾を抱えている私には上段への突破は無理と判断し、先ほどの沢へエスケープする。沢に出ホッとするが、体力と時間を浪費して得た代償は大きい。次回からはガラン沢鉱床に登らず、そのまま沢を詰めることにする。

 16:45 中電水路着
 沢を堰き止めるような形でコンクリート製の壁に突き当たる。中電水路だ。壁面に12号13号とプレートが付いている。水路は幅80センチ位、深さ1m位で、鉄板で蓋がしてある。その上を歩くのだが、鉄板が波形で腐っているものもあり歩きやすいとはいえない。

 ひたすら、草津峠に向かい歩くのみ。中電水路の終点からは、上記の湯ノ花沢で紹介した通りである。

 17:05 草津峠通過。
 上信越高原国立公園登山道をヨレヨレになって歩く姿は絵にならない。登山道沿いに咲くリンドウが目と体の疲れを癒してくれる。硯川に降りる登山道は数年前に大改修し、旧道の面影はない。

 17:50 硯川着。
 ほとんど日没と同時に到着する。天候に恵まれたとはいえ、約9時間半の沢登はきつかった。次回は朝早く出ることにしよう。ビールをよこせと体が要求している。素直に従うことにする。

【舞茸】
 1本の木から採れる量はバレーボール大の株で1〜2個。天然物は密度が高く重量があるため、1株が約1キロが平均的なサイズであるが、今回採れた舞茸はキングサイズで、4株で10キロ。成長も申し分なくちょうど食べ頃。ズッシリとくる重量感に思わず舞ってしまう。

 来年のことも考えマタギの作法通り1株につき4分の1くらい残し収穫する。六合村ではこのような採り方をしないので、同じ木で毎年採れない。是非実行してもらいたい作法だが、この残り分を採っていく不作法者がいる。感謝の気持ちを忘れ略奪するだけなら、山菜採りとは呼べない。ただの泥棒だ。

【惣吉地蔵】宗吉とも書く。
 昔、隣部落の長平に狩人で本多惣吉という人がいたそうです。ある日、飼い犬をつれ一人ガラン沢に狩りに行ったのだが、黒ゼンの滝で墜落し動けなくなった。助けを求めるすべもなく死を覚悟、自ら銃口を口に差込み発砲、自害したそうです。

  しかし、飼い犬が村人に助けを求めに里に下っていたことを惣吉は知らなかった。村人が駆けつけたときには、すべてが終わっていた。

 今は地蔵として、犬の地蔵と共に岩棚に奉られている。生まれ育った長平部落の方向に顔を向けて。

【湯ノ沢】
 湯ノ沢をガラン沢本流から遡行すると、30分程で5mの滝が現れる。観世音ノ滝だ。右岸にステンレスのチェーンが埋め込みボルトでセットされているが、チェーンを頼りにしなくても直登は危険ではない。滝を上りあげると5mの第二の滝(こちらの滝が観世音の滝か?)。こちらは左岸にチェーンがセットされている。滝を越えしばらく歩くと右側から流れている沢に出合う。沢の石が青白くなっているこの沢がダン沢だ。

  ダン沢の出合を後にし、さらに30分程遡行を続けると、沢が2手に分かれる。左側が鯛ノ沢である。鯛ノ沢の源流部が崩壊地で、遠くから眺めると尻尾のない鯛の形をしていることから、六合村では鯛ノハゲと呼んでいる。右側が湯ノ沢で、別れから50m程上流の右岸から温泉が湧いている。

 毎分18リッター、水温41度のこの温泉はガラン温泉と呼ばれている。この温泉の権利を巡っていろいろ取りざたされているが、当事者が全員他界し真相は不明である。

【ピーコック碑】
 1938年1月、英国人のピーコック氏(以下P氏)と案内役の日本人の某氏がツアースキーで横手山から白根火山に向かう途中ガラン沢に迷い込み遭難死した。その遭難を巡ってミステリアスな情報が錯綜し、国際問題となり一時騒然となったようである。それは、

 1、P氏の身分が英国のシンガポール駐在武官、砲兵中尉であったこと。
 2、P氏の遺体は発見されず、日本人某氏のみ凍死体で発見されたこと。
 3、日本人某氏のポケットからP氏所有の拳銃が発見され、発砲した形跡があったこと。
 4、日本人某氏の所持品にダイナマイトの雷管と導火線があったこと。
 5、日本人某氏のポケットにP氏の懐中時計と英国紙幣があったこと。

等である。最も好まれた推測は、P氏スパイ説である。ガラン沢周辺には鉄鉱石や硫黄の採取できる鉱山が多くあり、その調査のためスキー客を装いスパイ活動を行っている途中何らかのトラブルで遭難した。と云う説であったらしい。しかしその後は混迷の時代に突入し、この事件は人々から忘れられた。近年になってその記憶を後世に留めるため遭難碑を設置したと云われている。

【中電水路】
 白沢から1号が始まり、各小沢毎に水を取り込んでいる箇所にナンバーが付けられている。ちなみに草沢は7号だ。この水路は標高1900mの等高線沿いにあり、名もない小沢の水を拾い集めながら草津峠直下まで続いて、そこから隧道となり硯川へ流れ出ている。つまり、本来太平洋側に流れる水を日本海側に流しているのだ。

 現在は発電用として利用されているが、明治15年信州の寒沢村に水田を作るために作られたものである。鈴木為五郎、沢次郎親子が私財をなげて工事を行ったが、私財も尽き、父為五郎を隧道工事で失い精神異常をきたし、堰の完成後座敷牢で狂死した。何とも哀れであるが、その先見の目、情熱に頭が下がる思いである。

  また、当時水利権を六合村から酒2升で得たと云われている。沢次郎堰または、寒沢水路はその頃の呼び名である。

【草津水源】
 草津町では慢性的な水不足に悩まされている。町民のみならず大勢の観光客に対応できる水源が草津町には無いからだ。日本有数の湧出量を誇る温泉があっても、人が飲める水がなければどうにもならない。ガラン沢本流の水は飲料には適さないが、北東斜面から流れ出している沢水は何とか飲料水と使えるようである。

 約8キロにも及ぶパイプラインで結ばれている水路とその管理道路や崩壊防止等の修復工事は毎年雪解けと共に行われている。現在、横手山山頂に防衛庁のパラボラアンテナの建設が計画され、その工事で水源が涸れないかと草津町の人々は心配している。

【群馬鉄山ガラン沢鉱床露天掘り跡】
 昭和25年の朝鮮戦争景気にわく頃試掘し、本格的に掘ったのは昭和29、30年の2年間のみで、3,000トンの鉄鉱石を索道で熊ノ湯に出した。当時、夏期のみ飯場が建ち、30人位の男達が住み込みで働いていたそうである。

98/09/22 追記
 台風6号が今月の15日から16日にかけてもたらした降雨は、昭和57年の台風に匹敵する増水となった。

  また、これを書いている今も、台風7号が接近して、風雨も激しくなりつつある。

  何度も書いているが、山行記等はあくまでも参考資料に留め、盲信しないでください。

  山や渓は刻々と変化して行きます。山と渓の声を聞きながら歩きましょう。

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