| 昨夜(10日深夜)からの降雨が、いよいよ本格的になってきた。「あれ!変だ!いつもの詰めと状況が違っている。」後高度、100m遡上すればオッタテ峠という地点で、その異変に気付いた。普段なら涸れているかチョロチョロ流れる最源流部が、白く泡立つ水に占拠されていたのだ。
ここで、この文を読まれている人は???と、思うかも知れない。 沢・川は下流に行くほど水量が増え、上流部に行くほど水量も少なく、最源流部なら安全と思っているのではないだろうか。もちろん、圧倒的な水のエネルギーは下流部に軍配が上がる。しかし、沢・川が変貌するという点では、全く同じなのだ。 11日、本流では、約20cmの増水で、薄濁りはあるものの渡渉には問題なく、帰路支流の小ゼン沢を目指した。 今回、入渓する直前まで天気図を調べ、台風の進路が逸れるのを確信し、予報でも「大きく崩れる心配ない」との報だったので、多少の雨でも余り気のかけなかったのだが、支流に入ってから様相が変化していた。 普段水も流れていない枝沢が、白い筋となって流入していたのだが、沢登りには特に支障無くドンドン高度を稼ぐ。そして、後高度100m、胸先八丁、登り時間にして30分辺りから、その異変に気が付いた。 沢は狭くなり、その沢幅一杯に流れ落ちてくる水が白く泡だ立ち、ステップを隠していたのだ。 想像して下さい。ビルの階段にゴンゴン流れ落ちる水を!水量は脛位なので、足がすくわれることはないが、階段と違って不規則な沢床を<足掛かり>で探りながら歩く手間を!岩に跳ね返った水を被り(どうせ汗と雨で濡れているが)手探りで<手掛かり>を捜す手間を!(源流部では巻き道は皆無。水の流れを避けるならば、ヤブ漕ぎしかない。雨の中のヤブ漕ぎの辛さ。判りますか?) 結局、倍以上の時間を掛け、沢を詰めたのだが、思わぬ尖兵に不覚をとったのは否めない事実。そして帰宅後テレビで報道されていた豪雨災害。ここから僅か50kmも離れていない所でも記録的な豪雨があったとか。あー怖!背筋が寒くなった。 しかーし!念願の舞茸の採れる木を発見しました。残念ながら、既に腐り、青カビが生えている状態でありましたが、時期さえ合えば確実にゲットできる木を遂に発見しました! 腐る前の推定量はバレーボール大2個分。しかし木の太さから、年によってはもっと大きな収穫になりそうです。 この木に巡り会うのに6年かかりました。ヤッタゼ!毎年この時期に入渓し、釣りは二の次、沢からヤブに潜り込み散々歩き回って見つからなかったこの繰り返しにやっと終止符が打てそうです。生来、飽きっぽいので、魚野川での舞茸探しもこれで終わりそうです。(極めることが出来ない質なのです。) 次は何して遊ぼうかな?ワクワク。(写真と文章。愉しかったこと、怒ったこと。この後も追加していきます。) 其の二、 毎回のことながら、焼き上がったプリントを見て落胆。私の住んでる地域で、ポジフィルムを安く上げるには一週間から十日懸かります。 使い捨てカメラでは、二度と出会えない光景がピンぼけ。露光不足。「デジカメが欲しいー。」でも、精巧緻密な機械は私の山遊びには馴染まない。メーカーは忘れたが、「現場監督」の銘で売っているカメラが相当なのだが、いかんせん高い!(貧乏が悪いか!開き直る) 気を取り直して。 そんな場では、感覚が鋭くなっているので余計な遺志を感じてしまうのです。 今日は此処まで、なんか気を殺がれた気分です。 |
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ガラン沢には毎年入渓するが、源流まで詰めるのは91年以来である。本流の水は強酸性で、魚の棲めない沢であるため、沢屋さんが入渓する程度で、あまり人は立ち入らない。また、相次ぐ遭難で魔の沢として知られて、地元では「おっかない所」と、印象付けられている。 ガランとの呼称から想像できるように大規模な崩壊地があり毎年信じられないような大岩が崩れてくる。しかし、この付近では91年以降大水が出るような降雨がなかったので、渓相に大きな変化もなく一安心。 危険な所もなく、沢登の経験があればザイルや三ッ道具等の登攀具も不要で、体力のみ要求される沢である。 さて、記憶が薄れない内に記録に留めることにする。(ガラン沢の地図を参考にしながら読むことを奨めます)
8:10 自宅を出発。
8:25 馬止メを出発。
8:50 キノコ沢着。(腹が減ったので握り飯を頬張る。10分休憩)
9:20 惣吉(ソウキチ)地蔵着。(10分休憩) 惣吉地蔵からガラン沢本流に約100m一気に下る。ガラン沢は強酸性のためか、岩が滑らない。ふつうの地下足袋で十分だ。WDシューズや渓流足袋だと山道の下降でよくスリップするが地下足袋だと快適だ。地下足袋登山バンザイ!本領発揮! 歩き始めから1時間20分で本流に立つ。水量は膝位でいつもより多い。徒渉を繰り返しながら峠ノ沢を右に見る。峠の沢出合下流の左岸に岩小屋があるのだが、笹とイタドリに覆われ見つけづらい。
10:05 池ノ沢出合着。(またまた腹が減ったので握り飯を頬張る。15分休憩)
10:35 湯ノ沢出合通過。
11:05 ローソク岩着。(15分休憩) ローソク岩から左岸のガレ場をトラバース気味に上る。沢には大岩が累々と積み重なり水は滝をかけトンネルを穿ち、水線通しでは歩けない。中でも一番大きな岩を千トン岩と呼んでいるが、どう見ても万トン岩と呼ぶ方がふさわしい気がする。 千トン岩を左に見、前方左岸にロープが下がっているが見える。ルートは正しいのだが、このロープを決して信用してはならない。落石で切れる寸前になっている場合があるからだ。ロープの下がっているザレ場を登り切り後ろを振り返ると、ガランの全貌がうかがえる。両サイド200m以上の荒れた崖がそびえ立った大伽藍の迫力を十分堪能できる。 ガランの迫力を後にし背の低いツガ林の中を分け入ると4〜5人が泊まれそうな岩小屋に出る。木を組んだベットや薪があり人が暮らした形跡がある。 昭和58年の夏、一人の青年がこの岩小屋で山籠もりをしていた。聞けば、6、7、8月の3ヶ月間一人で住んでいたそうである。超人願望にとりつかれ密教やヨーガを修行と称し実行していたらしい。折しもオーム真理教の松本教祖が、まだまともだった頃である。松本教祖と彼との修行に対する方法論は同じだったが、悟った点が明らかに違っていた。松本教祖は「金儲けになる」、彼は「時間の無駄だ」と悟った点だ。彼は現在六合村に移り住み「じねん」と名乗っている・・・なんだ、私のことだ。
11:35 寒の風穴着(15分間温度測定) 去年の8月に風穴内部の温度を測定した時は外気温32度時、7.3度であった。今回は外気温22.1度時、7.8度で、ほとんど変化は見られなかった。次回はこの天然の冷蔵庫で冷やしたビールを飲む計画を立ててみよう。
12:00 黒ゼンのテン場通過。 黒ゼンのテン場から少し進むと、黒ゼンが見える。落差7m直瀑の滝で、直登はかなりの技術を要する。正式のルートは右岸の崩壊地中央のガレ場を上部まで直登し途中から上流に向かってトラバースするルートだ。 よく見るとカモシカも利用するらしく踏み後が確認できる。ここにもロープが掛かっていたが、ロープの一部が岩の下にあったため手がかりが有り、危うく信頼してしまうところであった。力いっぱい引くと簡単に抜け、もし手がかりとしてロープを握っていたらと思うと背筋が寒くなった。残置された登攀具を利用する際の基本は「信用するな」です。 トラバースして尾根に立つと、志賀高原の遭難防止対策協会の看板(30×40センチ)が目に留まる。「あなたは、遭難しています。直ちに引き返してください。」と、書かれているが、遭難している人がどうやって帰ればいいのだろうと考えてしまった。自分が今どこにいるのか解らなくなってしまったから、遭難してしまうのでしょう?
12:30 宮手沢出合着。(30分昼食) この出合に遭難碑があったらしいのだが、今はない。宮手沢を詰めると渋峠に出られる。途中2カ所高巻きがあるのだが2度目の高巻きは、1時間の大高巻きでかなりきつい。しかし、ここからだと人界への最短ルートである。
13:10 白沢出合通過。 この白沢の水源から草津峠に向かって水路がある。俗に中電水路と呼ばれている。また、草津温泉の水源でもあり、草津温泉へパイプで送られている。 白沢を通過すると、小滝の連続する地帯となる。その中で落差6m3段の滝が仙十滝である。
14:00 白水沢出合着。(10分休憩)
14:30 草沢出合通過。 15:00 熊沢出合着。(10分休憩)
15:20 鉢山沢出合通過。
15:45 湯ノ花沢出合着(10分休憩) 参考までに湯ノ花沢を詰めるには滝を2つほど越さなければならないが、直登できるので、それほど問題ない。忠実に本流を詰めていくと、根曲がり竹のトンネルとなり、いきなりコンクリート製の壁に突き当たる。中電水路の終点である。 水路の終点からチョロチョロ流れている根曲がり竹のトンネルの沢を登ると、ザレ場に出る。このザレ場に付いている小道を上りあげると、根曲がり竹を切り開いた道に出る。この道を2分も歩けば草津峠に出られる。 横手裏ノ沢へ分け入り、右側から流れ入る沢をすぎ、二手に分かれ地点に出る。通常は滝の見える右側の沢を選択する。その滝の手前で右岸のザレ場を上ると鉄鉱石の露出した所に出る。
16:15 群馬鉄山ガラン沢鉱床露天掘り跡の下段着。(シャリバテを防ぐため握り飯を半分頬張る。10分休憩) また、理由は解らないが深さ1m位の穴が至るところにあり、疲労に加え膝に爆弾を抱えている私には上段への突破は無理と判断し、先ほどの沢へエスケープする。沢に出ホッとするが、体力と時間を浪費して得た代償は大きい。次回からはガラン沢鉱床に登らず、そのまま沢を詰めることにする。
16:45 中電水路着。 ひたすら、草津峠に向かい歩くのみ。中電水路の終点からは、上記の湯ノ花沢で紹介した通りである。
17:05 草津峠通過。
17:50 硯川着。
【舞茸】 来年のことも考えマタギの作法通り1株につき4分の1くらい残し収穫する。六合村ではこのような採り方をしないので、同じ木で毎年採れない。是非実行してもらいたい作法だが、この残り分を採っていく不作法者がいる。感謝の気持ちを忘れ略奪するだけなら、山菜採りとは呼べない。ただの泥棒だ。
【惣吉地蔵】宗吉とも書く。 しかし、飼い犬が村人に助けを求めに里に下っていたことを惣吉は知らなかった。村人が駆けつけたときには、すべてが終わっていた。 今は地蔵として、犬の地蔵と共に岩棚に奉られている。生まれ育った長平部落の方向に顔を向けて。
【湯ノ沢】 ダン沢の出合を後にし、さらに30分程遡行を続けると、沢が2手に分かれる。左側が鯛ノ沢である。鯛ノ沢の源流部が崩壊地で、遠くから眺めると尻尾のない鯛の形をしていることから、六合村では鯛ノハゲと呼んでいる。右側が湯ノ沢で、別れから50m程上流の右岸から温泉が湧いている。 毎分18リッター、水温41度のこの温泉はガラン温泉と呼ばれている。この温泉の権利を巡っていろいろ取りざたされているが、当事者が全員他界し真相は不明である。
【ピーコック碑】
1、P氏の身分が英国のシンガポール駐在武官、砲兵中尉であったこと。 等である。最も好まれた推測は、P氏スパイ説である。ガラン沢周辺には鉄鉱石や硫黄の採取できる鉱山が多くあり、その調査のためスキー客を装いスパイ活動を行っている途中何らかのトラブルで遭難した。と云う説であったらしい。しかしその後は混迷の時代に突入し、この事件は人々から忘れられた。近年になってその記憶を後世に留めるため遭難碑を設置したと云われている。
【中電水路】 現在は発電用として利用されているが、明治15年信州の寒沢村に水田を作るために作られたものである。鈴木為五郎、沢次郎親子が私財をなげて工事を行ったが、私財も尽き、父為五郎を隧道工事で失い精神異常をきたし、堰の完成後座敷牢で狂死した。何とも哀れであるが、その先見の目、情熱に頭が下がる思いである。 また、当時水利権を六合村から酒2升で得たと云われている。沢次郎堰または、寒沢水路はその頃の呼び名である。
【草津水源】 約8キロにも及ぶパイプラインで結ばれている水路とその管理道路や崩壊防止等の修復工事は毎年雪解けと共に行われている。現在、横手山山頂に防衛庁のパラボラアンテナの建設が計画され、その工事で水源が涸れないかと草津町の人々は心配している。
【群馬鉄山ガラン沢鉱床露天掘り跡】
98/09/22 追記 また、これを書いている今も、台風7号が接近して、風雨も激しくなりつつある。 何度も書いているが、山行記等はあくまでも参考資料に留め、盲信しないでください。 山や渓は刻々と変化して行きます。山と渓の声を聞きながら歩きましょう。 |
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