山からの声'97


ご意見、ご希望、ご感想、お待ちしております。


97/12/18「近年の遭難から推測するガラン沢考」

 ガラン・・・「伽藍堂」「ガラガラ」「ガラ場」、名から想像するならこんな所か?

 地元では「魔の沢」「人喰い沢」等と呼ばれている。だが、そんなに恐ろしい沢でもない。

 人から「恐ろしいところですか?」と聞かれれば「いいえ。」と答え、「私でもいけますか?」と聞かれれば「はい」と。とにかく、それなりの知識と経験と体力があれば誰でも入渓出来るんです。

 確かに「ガラン」の核心部は人を寄せ付けない厳しい様相を呈している。その自然の雄大さに人はおののき敬虔になったのでしょう。実際、過去に大勢の人が、ガラン沢で遭難しています。しかし、その大半は自からガラン沢に入渓しようとしたのでなく、知らないうちに迷って入渓してしまうケースが大半なのです。

 その実例として昭和40年から62年までのガラン沢での遭難記録を下記に表記します。

                        (志賀高原救助隊のあゆみより抜粋)

 発生時刻    区分     人数     原因        救助区分

40.05.27 仕事中      1   天候の急変、吹雪    死亡1
42.04.30 ゲレンデスキー 2   コースを誤る       救助2
43.05.02 ゲレンデスキー 4   コースを誤る       救助4
44.04.01 ゲレンデスキー 1   スキー技術過信    救助1
44.05.03 ゲレンデスキー 5   方向を誤る       救助5
44.06.25 タケノコ採り   2   地形の過信       救助2
45.12.25 仕事中      1   吹雪のため       救助1
48.01.15 ツアースキー   1   地理不案内       救助1
49.04.16 ゲレンデスキー 2   コースを誤る       救助2
49.12.31 ゲレンデスキー 1   コースを誤る       救助1
51.12.17 ゲレンデスキー 1   コースを誤る       救助1
55.03.28 ゲレンデスキー 1   コースを誤る       救助1
59.07.14 タケノコ採り   1   地理不案内        救助1
60.01.10 ゲレンデスキー 1   スキー技術過信     救助1
61.02.21 ゲレンデスキー 3   スキー技術過信     救助3
61.11.05 登山        2   登山道不整備     自力脱出2
62.06.24 タケノコ採り   1   地形の過信       救助1

 各遭難記録の詳細はここでは紹介できないが、傾向として冬季間の遭難が多数である。しかし、スキーでの遭難で、”コースを誤る”原因では、ゲレンデのコース整備を努力した結果、昭和55年以降では発生していない。しかしながら、新雪を求めて故意にゲレンデから外れて遭難するケースと、タケノコ採りに夢中になり自分の居場所が分からなくなり遭難するケースにはその後も続発し対応のしようがない。

 唯一、特出し、注目すべきは、昭和61年11月5日の登山者の遭難例である。”志賀高原救助隊のあゆみ”では、

5日朝、草津を出発、ガイドブックを頼りに大沼池−赤石山−野反湖のコースを登山したが、山道の欠落、風倒木などで道に迷い、野反湖付近で吹雪に遭い視界も悪く、クマザサの中で一夜を過ごした。翌日11時家族から5日夕方に帰宅するはずの2名が帰らないと、長野原署に届けがあり、要請を受けた中野署も準備を進めていたが、0時20分群馬県六合村長平地籍の民宿にいると自宅に電話があり、捜索を解除した。」とある。

この幸運な事例では、
 1、”自力脱出2名”と、ある通り、元々登山で入山しているのだから、”遭難した場合”を想定した装備、行動があった。
 2,この2名は草津町の人であり地元の地形に馴れていた。
 等の推測が成り立つ。が、彼らはガイドマップを基に入山していた。この事実は現代において観光町村を目指す町村なら最も注意しなければならない事柄と認識すべきである。何故なら、
 2−1,ガイドマップ(市町村発行の観光マップも含め)の発行者に、→(調査した時期を明記し、読者に山のその後の状況変化を喚起し注意することを怠った。:山、地勢、の状況はすぐ変化します。)
 2−2,登山道管理者に、→(登山道の整備、修復、現状報告を怠った。:このルートは昭和54年8月30日以来なんの整備もしていない。)(平成9年10月現在、ルートの復旧整備完了。道標などの整備は未完了。)

 共に、管理者としての過失責任が問われるからだ。

幸いというか、この事例に関して何のクレームも無かったようだ。”遭難者が近在の人だったから?” 「ラッキー」と云うほか何もない。

 少々「近年の遭難から推測するガラン沢考」からよこみちに逸れたが。とにかく「それなりの知識と経験と体力があれば誰でも入渓出来るんです。」「恐ろしい沢ではないんです。」と云いたかったのです。

97/10/25「岩魚の産卵観察」

 岩魚の産卵観察に行きました。場所は残念ながらお教えできません。雄雌の尺岩魚が二匹、水深5センチ位の浅瀬で’ゆらゆら’並んでいました。二匹とも背ヒレを水面から出し、とても無防備に、愛おしくさえ見えました。

 雌は1分間に1−2回横になり尾ヒレで川底を掘り産卵床作りに、雄は他の2匹のライバルを追い回すのに懸命に、時には噛みついたりして。一時も休まる様子も無く・・・・・1時間半くらい這いつくばって間近で観察していましたが、日暮れで寒くなってきたので決定的瞬間をあきらめ帰ってきました。よほどの幸運でもなければ見れないんだろうナー。

 2日くらい粘る気持でいれば・・・・・まぁそのうちに、いつかね。

97/10/24「過去の資料から」

 過去の文書ファイルを整理していると、こんな資料がでてきました。

  この年は2件5日連続で捜索にあたり、今この資料を読むと、その時の苛立ちが改めて蘇り恥ずかしく思います。が、これも当時は現実でした。

概要は、
 野反湖ダムサイトの駐車場に乗り入れた車の持ち主が行方不明。どうも釣り目的で千沢に入渓したらしい。しかし地元の常識では千沢に入渓する事は「無謀であり考えられない。」との見解から、その周辺の沢や湖を捜索したが発見できない。平成6年7月7日、折しも七夕の日、遭難者は帰らぬ人として千沢で発見された。

以下、六合村長に宛てた意見書をそのまま掲示します。

   六合村長 殿

                       平成6年7月11日 尾崎 博章

94年7月 千沢遭難事故に於ける反省点と、今後の捜索活動に関する課題。

《反省》

1、今回の事故現場は、ヘリでの捜索が適切に行われていれば、上空からでも発見の可能性が、高い場所であった。

2、切明へ向かう登山道捜索の際に、「千沢、魚野川、渋沢のいずれかに入った形跡の有無を調査する」という指示が出ていれば、早期発見が可能であった。

  補足:志賀高原遭対協の救助隊は7日、千沢に人が入った形跡を確認している。

3、捜索活動に於ける遭対協無線の利用が充分になされておらず、また、その重要性に対する認識が甘い。

  補足:3町村が同一遭難者の捜索に臨んでいるのに、3町村間での無線連絡を取り合わない。本部が野反湖に在るのなら六合村が主導権をとり、積極的に無線連絡を行うべきであった。前記2の補足がポイント。

4、遭難者発見の報告を入れてから、その後の対策指示までの時間が長すぎた。

  補足:特殊な状況下であったが、対策指示決定まで約3時間を要した。

《問題点》

1、遭対協があるのにもかかわらず、ザイル、ハーネス、ツェルト等の装備が用意されていない。

2、捜索活動に当たった各人に、統一の地図が配布されていない。各沢(枝沢含む)の名称、地域の名称、距離、遭難者の性別、年齢、氏名、服装等の特徴等の情報は最低限度ほしい。

  補足:北も南も分からず、ただ人の後をついて歩いていては、二重遭難の恐れがある。

3、捜索員の手配、遭対救助隊員出動保険制度の手配、捜索方法等の対応が遅い。特に、捜索方法の検討は前日に検討し、各関係町村に連絡してスリ合わせを行い、当日の朝の貴重な時間に行うべきでない。

4、捜索活動に当たった人々の安否、下山(解散)時刻を有線で放送するべき。

  補足:危険地域での捜索では、捜索隊の家族が心配している。

5、消防団、山岳会、一般民の間に、奇妙な誤解、牽制等おかしな雰囲気が存在する。

  補足:お互いに消防団、山岳会、という団体に固執し、遭対協で行動しているという認識がない。

遭対協とは「遭難防止対策協会」の略で、遭難者があれば、その捜索に当たるのは当然であるが、遭難事故を事前に防止するのが本来の目的である。

《課題》

 六合村遭対協の会則なり規則なりを、実践的に対応するよう再検討、再構成し、あらためて村民の理解協力を得る。

1、遭難事故防止対策。

 1-1、ハイキングコース等の整備と安全性の拡充。

  1-1-1、村制作のパンフレット等に記載のハイキングコースの定期点検。

      補足:赤石〜かもしか平間は、およそ15年前にコース整備して以来まったく手入が行われていないようです。ハイキングコースとは、言えないものながら、「野反湖は、ぱちぱちが、いっぱい」のパンフレットには、コースと距離、間違った所要時間を丁寧に紹介しています。仮に、このパンフレットを見て入山したハイカーが遭難した場合、捜索費を請求されたり、訴訟問題に発展したりする可能性は充分にあります。

 1-2、入山者に対する啓蒙活動。

  1-2-1、難場、難コース等に危険性の明示や、遭難した場合の心得を掲示する。

  1-2-2、整備不可能なコース、地域への立入禁止掲示。

 1-3、地域情報に対するチェック機能。

  1-3-1、誤った記載をしている村制作のパンフレット等の廃棄、手直し。

  1-3-2、アウトドア関係誌等の誤った記載に対する訂正申し入れ。

2、救助部の設定。

 2-1、救助部の設定を行いその人選を行う。

  2-1-1、体力、知識、経験等を考慮する。

  2-1-2、人選に当たっては、不満、内紛の起こらないような制度とする。

 2-2、装備の確保、及び使用方法の取得。

  2-2-1、無線、ザイル、ハーネス、ピトン、カラビナ、エイト環、ets

  2-2-2、装備を安全、迅速に使用できるよう訓練を行う。

3、事務局の制度化。

 3-1、初期対策、早期発見が円滑かつ適切に行われるようマニュアルを作る。

  3-1-1、警察、捜索依頼人、関係行政区担当者との連絡。

  3-1-2、捜索隊(消防団、山岳部)、救助隊の手配。

  3-1-3、遭対救助隊員出動保険制度の手配。

  3-1-4、捜索隊班長等を混じえた捜索方法の検討と指示。

 3-2、事後処理。

  3-2-1、事務の事後処理。

  3-2-2、各関係者への報告。

  3-2-3、反省点、問題点を検討し次回のため改善。

4、群馬、長野、新潟の隣接町村との協力体制の強化。

 4-1、群馬県遭対協総会への出席。

 4-2、隣接町村の合同会議への出席。

    補足:年内に開催される予定で、志賀高原遭対協は、六合村の参加を切望している。

 アウトドアブームの広まりにより、登山、釣り、山菜採り等で当村を訪れる人は、今後も増加するものと思われる。 また、観光村を目指す上では、観光客の誘致と遭難事故の危険性は、常に二律背反するものとして心得ておくべき事ではないでしょうか。

 遭難する事を目的に山へ入る人はいないはずだし、仕事等に支障をきたし、精神的にも肉体的にも疲労する捜索に、喜んで参加したいという人もいないはずだし、また親愛なる家族、隣人が、怪我、二重遭難等のトラブルに会うことを望んでいる人もいないはずです。誰一人として遭難の発生を望む人などいないのです。

 更なる遭難事故の可能性を”放置”しておいては、千沢での遭難死亡事故の”教訓が無駄”になってしまいます。今一度、遭難防止対策協会の名のもとに、遭難事故の未然防止を最重要目的とした体制、制度を、改めて考えても良いのではないでしょうか?

以上

98/05/31「反省も込めて其の二」 に関連事項があります。

97/09/18「魚野川で不明の信大生、遺体で発見」

概要
(信濃毎日新聞9月18日朝刊)
「下水内郡栄村、下高井郡山ノ内町境の魚野川水系で行方不明になっていた松本市、信大医学部6年生Aさん(29)は17日午後5時50分ころ、栄村秋山郷切明温泉から約1`上流の魚野川中州で、捜索隊により水死体で発見された。Aさんは13日、大学の釣り仲間と同水系に入り、帰路の15日、滝つぼに転落し、流された。」

考察
 源流釣りのブームで年々入渓する人が増えることに対して、危惧していたことが残念ながら現実となってしまいました。遭難者に対して批判する事はたやすいことです。問題はその背景にあるのでは?考察してみました。

 「ウオータークライム」、最近よく耳にする言葉です。まったくの独自のスポーツですが、沢登のテクニックの一つだと思っている人々。また「近世:源流釣り師の世界」を、そのまま真似をする事に魅力を感じている人々。どちらも大きな勘違いがあるのでは?

 数年前北海道でベテランの経験者が2名「ウオータークライム」でやはり水死している。その事故報告では、いわゆる今までの沢登スタイルで「ウオータークライム」を行ったらしい。その時の貴重な経験が生かされていない。すなわち、ヘルメット・ライフジャケットの着用、クライミング用のザイルは延びるので使用しない、水流の激しい段差のあるポイントでは決行しない等々。

 沢下りは登りより遙かに難しくまた時間もかかる。本来なら出来るだけ泳ぐことは避け、高巻いたり、へつったりする所を、「ウオータークライム」や「近世:源流釣り師の世界」では積極的に泳いだり、滝壺に飛び込んだりする。見た目にかっこよくしかも行動時間を節約できる。しかしそれなりのリスクがあることを彼らは承知の上で行っているのです。無理をしても無茶はしていない。豊富な経験があるからこそ出来る事だとなぜ思わないのだろう。

 だから私は出来るだけそのような行動は避けている。「出来るだけ」と云うのは、望んでいないのに避けられない時が実際にあるからだ。「避けられない時」対応出来るよう登攀技術、淵で泳いで岩にとりつく等の練習はするが、あくまでも「避けられない時」に困らない為で、「積極的な技術」の練習ではない。実際は自信がないのです。(笑い)

 そこで、背景に「問題点はメディア」にあるのではないか?そう考えてしまうのです。

 雑誌やTVで紹介されていますが、どうもカッコイイ事ばかりで鼻につきます。個人的には、参考になる様な失敗談や惨めな経験を知りたいのです。

 責任転嫁ともとれますが、みなさんどう思いますか?

98/05/31「反省も込めて其の二」 に関連事項があります。

Date: Tue, 21 Oct 1997 From: Hayasi    私は山や川を楽しむ人は自己責任で楽しんでいると考えています。能力を超えたことをすれば、当然リスクは付き物です。死んでほしいとは思いませんが、死者をむち打つことは本意では在りませんが、本人の責任だと思います。

97/08/03「恐怖の体験」

 1日より魚野川へ2泊3日で行って来ました。そこで真夏にぴったりの背筋も凍る恐怖の体験をしてきました。その予兆は2日の夜から始まっていたのです。

 夜8時、食事の支度も終わり、これから一杯やりながら至福の時を過ごそうとしたとき、 <<単独で入渓したため、焚き火を熾したり、岩魚をさばいて料理したりすると、このくらいの時間になってしまいます。ちなみにメニューは、「骨酒用の塩焼き1本・刺身(イクラ、白子入り)・岩魚の蒲焼き風・食道と胃袋の串焼き」>>  草津方向の空が、ピカリ、ピカリ。最初は雷かと思ったが音は聞こえない。 出がけに温泉祭りがあると聞いていた時間もちょうど。「何だ花火か」と納得、舌づつみを開始する。

 「うまい!」誰も聞いていないのに、つい独り言。10時過ぎになっても、まだピカリ、いくら草津でも2時間以上も花火を打ち上げる経済力はあるまい。やっぱり雷だと納得し、舌づつみを再開。零時過ぎついに雷雨となり一時中止。テン場は増水しても心配ない場所なので、濡らしたくない物だけタープの下に入れ一安心。雷の音と光を肴に再開。午前1時過ぎには酒も切れ就寝する。この時点では雷に対して恐怖心は無かったのだ!

 それが始まったのは、帰路、魚野川支流小ゼン沢を遡上し、後20分でオッタテ峠に到着する所からだ。雷雨となった。雨合羽を着、とにかくオッタテ峠まで行き、そこで雷が通り過ぎるまでやり過ごそうと考え遡上を再開。オッタテ峠に着いた頃には雷も通り過ぎ晴れ間も見えた。「やれやれ」タカノスの尾根は下り一方で約1時間10分。雨合羽を脱ぎ下り始める。

 樹林帯を抜け一ツ石付近で鳥の鳴き声がやむ。と、急に風が強くなり暗くなった。バシ!ドッカーン!ビシッ!ドーン!。付近はやせ尾根の笹原で逃げ場がない。ザックを投げ捨て笹下の中へ潜り込む。大粒の雨が殴りかかる。雨合羽を着る暇もない。いや、恐怖心から立つこともできない。立てば間違いなく避雷針。どうせ落ちるのなら上方に放り投げたザックに落ちてくれ。

 10分もすれば通り過ぎるだろうと濡れるに任せたが、20分たってもその気配なし。伏せている腹に地響きが響く。そのうち寒くなり恐怖心と重なって体が震えだすが、山と渓谷社発行の「生と死の分岐点・山の遭難に学ぶ安全と危険」と題する本の「落雷・自らが避雷針にならないために」の項を思いだし、どうにもならない事を察する、どうせなら仰向けで死のうと覚悟すると、今度は、コツッ、コツッ、ビー玉大の真球に近い雹だ!そのうち、ゴッツン、ゴッツン、ビー玉大の雹が上空で結合しゴルフボール大に!「イッテー」再び俯せになり両手を後頭部に。もう最悪。落雷・寒さ・痛さ、の三拍子。

 もうやけくそ!この雹を写真にとってやろうと使い切りカメラを取り出すが、あまりに暗いためフラッシュを焚かなければ写らない。「まてよ、フラッシュのチャージか、焚いた瞬間、大電圧が生じ、落雷を誘発するのではないか?」

 くわばら、くわばら。もう、何があっても鳥が鳴き出すまで起きないと心に決めた。(もう、もう、牛みたい)

 やはりいつまでも続くものではない、雷雨も過ぎ鳥が鳴き出した。「やれやれ」と立ち上がり、証拠写真をパシャリ。風上の白根方向をふと見ると、真っ黒な雷雲がまっすぐこちらに来てるではないか。「ヒエーッ!」、「もう、ヤ!メ!テー!」、死にものぐるいでリュックを担ぎ韋駄天のごとく駆け下りる。樹林帯に入ったところで、ドッカーン!もう走れない、でも危険度はぐっと下がり、ほっとする。やがて車に到着、午後5時。40分近く伏せていたことになる。以上、真夏にぴったりの背筋も凍る恐怖の体験でした。

ゴルフボール大の雹
ゴルフボール大の雹

Date: Tue, 21 Oct 1997 From: Hayasi   標高の高いところの雷は、自分が雷の中にいるわけですから怖いですね。山伏峠にある小屋の中で雷を経験しましたが、それでも怖かった思い出があります。ゴルフ場で死んだ人もいましたが、無事だったのは、神の思し召しだったのかもしれません。

97/06/11「どろぼう?」

 基本的に山菜取りは「どろぼう」と私は考えている。なぜなら何も与えず育てずただ略奪しているからだ。山が自然の力で育てた恵みを我々は「どろぼう」していることを自覚しなければならない。せめて偉大な自然の力に「感謝」と「祈り」の心を持っていたいものだ。今残された環境を少しでも残すことが「感謝」と「祈り」の心と通じないだろうか?

Date: Tue, 21 Oct 1997 From: Hayasi   この世に所有権の及ばないものは無い。その意味では山菜採り、キノコ狩りは「窃盗」だと思います。また、山を歩くことも、公道でない以上、所有権の侵害だと思います。 しかし、法律より先に社会は在ったわけで、自然から恵みを受けた山村生活や山菜を入り会い方式で採り現金収入を得ていた生活も在った筈です。(それを無理に所有権の対象とするため国有林に組み込まれたことはご承知の通りです。) ですから、どろぼうと決めつける前に、その地域の慣行がどうであったかを研究すべきと思います。あるいは、復活させる位のことが必要かと思います。 ここまでは建前ですが、現実に4駆を駆って町から来る人のマナ−の悪さ、−−ゴミは捨てる、木は芯を切る、地元の人が根回ししておいた木を掘っていく、春蘭その他の植物を掘る−−まるで山荒らし、盗賊と言う言葉がピッタリの人が多いのは嘆かわしい限りと思っています。

97/06/01「嘆き」

 最初に云っておきたい。これは誹謗中傷の類でも愚痴でもない、これは「嘆き」だと。なんともやりきれない、この村は変だ、なによりも村民がそのことを自覚していないことが恐ろしい。

 私はこの村の住民でありその住人であることに誇りを持ちたい。「愛国精神」とは無縁の。村の物理的な自然環境にはとても満足している。だからこそここに来たのだ。

 しかしながら・・・。自殺者が多すぎる。「過疎の村だから全国的な傾向だ」と云われるなら、統計を調べていない私には反論のしようがない。自殺者の統計はその身内の恥じ入る心理から正確な統計が取りづらいからだ。なぜ恥じ入るのだ!人が自らの意志で命を絶っているのに!そこに何かのメッセージを感じないのか?。

 昨年は老人が、つい最近も20代の青年が、世帯数18戸足らずの小さな集落で、そして今年の冬近在の中学生が登校途中友人達のみている前で橋から身を投げた。もうこれは異常としか云いようがない。

 私も当初は「孤独」「病苦」「絶望」などと醒めた目でみていたのだが、このような状況は「村の病」とはいえないだろうか?病は発病してから初めてわかるものであるが、それを客観的にみて「病」と診断しない限りその対策はとれない。まして心の病は社会が複雑になるほど単一的で対処の方法が多岐にわたる。難しい問題だ。

 だからと言ってそれを何もなかったこととして捉えてよいものだろうか?「過疎の村で地縁血縁が濃いから穏便に済ませよう」等とはもう云えない段階に来ていることは・・・。

 このような症状は社会的な心理学としての「風土病」、そしてその治療方法は古来よりの万能薬「理解」では?

Date: Tue, 21 Oct 1997 From: Hayasi  死亡統計では、全国で自殺者は約2万人という数字を見たことがあります。しかし、統計は分母が大きくならないと、偶然が作用する要素が大きく意味を為さなくなります。 自殺をするからには、相当の理由が有るとは思いますが、「風土病」とは思えません。穏便に済ませず原因を探求するのは必要だと思いますが。重い問題ですね。

96/07/18「遭難でしょ?」

赤石〜大高山間の縦走路確認で遭難しちゃった!? その考察。

 「やってしまった!!、一生の不覚、やっぱり!なんとかなるよ。」そんな気持ちが交錯した。

 赤石〜大高山間の縦走路確認のため赤石山からオッタテ峠を目指して入山したが、山をなめきっていた。15年前に何度かガラン沢の支流を詰め、縦走路の存在は知っていたのでさほど気にもとめずにいたのが原因であるが、反省材料と原因は多くあった。それらをまとめてみた。

予定コース  前山→四十八池→赤石山→湯ノ沢ノ頭→ダン沢ノ頭→オッタテ峠→一ツ石→馬止メ

参考地図

1,まず出発時間が遅かった。

  1−1、赤石山頂を11時30分に出発した事。

2,縦走路の荒廃度の読み誤り。

  2−1,昭和54年8月に整備して以来18年間整備されていないことは知っていた、しかし稜線の樹林帯を歩けばそれほど藪は濃くないだろうと思っていたが、極太の根曲がり竹が密生しており、さらにその密生地帯が全行程にわたっていた事。

  2−2,整備されていないのは、赤石〜オッタテ峠間のなだらかな稜線で、約4Km、4時間も歩けば大丈夫と考えたこと。しかし現実には8時間もかかった。なんと時速500m。

3,コンパスを持っていなかった。

  3−1,コンパスを忘れていた事がわかっていたのに強行した事。これは基本的な事で釈明できないミスである。

  3−2,日中は好天で、17時半頃までは木に登りさえすれば、稜線と山座確認できたが、その後急にガスがかかり展望が利かなくなった。 

4,ダン沢の頭のピークから尾根を取り違えた。

  4−1,ダン沢の頭は三方からなる尾根で、本来なら南東の尾根を下るはずだが北東の尾根を下った。磁石があり注意すれば問題なかったのだが、ピークから下る際、複数からなる尾根では迷いやすいと云われることが本当によく理解できた。

5,錯覚と思い違い。

  5−1,笑い話のようだが、南北を取り違えていた。考えてみて下さい、私は南東の尾根を下りているつもりになっている。つまり右に巻きながら下りるとガラン沢なので、左に巻きながら下りていけば必ず登山道に出ると確信し下降していたのです。(青色コース@)

6,さらなる錯覚と思い違い。

  6−1,19時頃には日も暮れた。峠の沢を下りガラン沢本流に出、葱吉地蔵から馬止めに出ようと右下から聞こえる沢音を頼りに下った。(青色コースA) この時点では本当に間違っていることに気がつかなかった。
  (※遭難者の捜索で夜ヘッドランプを頼りに沢や山を歩く事が度々あり、こんな無謀と思われる行動をしました。)

 さらなる勘違いから目が覚めたのはそろそろ本流か?と思う頃ガスが消え下り正面上空に北極星を見たときだ、「やってしまった!!、一生の不覚、やっぱり!なんとかなるよ。」そんな気持ちが交錯した。なんと下っていたのは魚野川の支流小平沢だったのである。本当の自分の居場所を確認したのは23時。非常食は明日の朝にとっておき雨合羽を着て寝ることにした。

 翌朝も好天、志賀高原に出るため庄九朗沢を詰めノッキリに出る。やっと登山道!!遭難者が遭難する気持ちと、その仕組みがよく理解できたことが最大の収穫であった。(精神と肉体的な悲惨さとは無縁であったが。)

やっぱり山をなめてはいけない!!

Date: Tue, 21 Oct 1997 From: Hayasi  予定していたコ−ス、辿ったコ−スとも良く理解できました。途中何を考えていたのかも含めて興味深く読ませていただきました。ノッキリに出ようと考えたのは、つまり庄九朗沢を詰めようと考えたのは沢を知っていたからだろうと思いますが、私は「初物」が好きで、知っているところには、まず入らないと思いますので、引き返さざるを得なかったと思います。進退窮まった怖い思い出があります。 7月とは言え、素晴らしい体力の持ち主と感じ入っています。

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