| 嬬恋村の山奥は長野境に小串鉱山跡があり、話しは67年前にさかのぼる。 そして現在。 早速K氏にメールを出した。 なんと言うことだ! |
| ハッ!ハッ!ハッ!、 スキー場で、意気投合した男女が一夜の逢瀬を楽しむ…のは良いが、仲間にも連絡無く突然消えるのだから始末が悪い。 シーズン中2〜3件、この手のお騒がせな、『旅館遭難』(造語)が発生する。 86年2月21日、夕刻。 たまたま遊びに行っていた横手山頂ヒュッテにて、不明者の知らせが有線で入る。 横手山スキー場、第三リフト終点の頂上からは、上級者のジャンボコースと中級者のキングコースが二手に分かれ、再び第二リフト終点の上方で合流する。 その合流点がガラン沢源流部の横手裏ノ沢の起点となっている。 その沢の起点に進入しないよう、ロープと看板で規制しているのだが、故意に進入しようとするものを止める術はない。 ゲレンデから懐中電灯でシュプールを確認するも林間に消えた痕跡を見極めるのは困難である。 ゲレンデから横手裏ノ沢に追跡を開始したのは、午後9時を回っていた。 ヘッドランプ無用、満月月夜の放射冷却。 胸まである深雪に不謹慎ながら歓喜したのは忘れもしない。 順調に下り、鉄鉱石露天掘り跡まで降りたが未だシュプールは躊躇無くガラン沢本流へと下っていた。 この時点で2名分のシュプールは遭難者と断定。 午後11時を回り捜索者の帰路の事も考慮しなければならない。 ビバーグ装備もなければ、食料も非常食しか持っていなかったからだ。 しかも、最終確認地点(標高1900m)から草津峠(1966m)まで登りあげ、最短の陽坂まで帰るには2時間以上のラッセルが待っている。 そして、冒頭のラッセルとなった。 ウェアの前をはだけ、汗でバリバリに凍ったトレーナーに震えたのは迎えの雪上車に乗ったときだ。 横手山頂ヒュッテに帰ったのは翌、午前3時を回っていた。 遭難者は当日無事ヘリで救助されたのは言うまでない。 さて、18年も前の捜索顛末を掲示したのには訳がある。 概要は、横手山スキー場にスキーに来ていたM・Mさんが行方不明と宿泊先のホテルから長野県警中野署に通報があり、同署と志賀高原遭難救助隊が捜索。 翌、23日、六合村の県企業局熊倉発電所取水小屋にいるM・Mさんから電話で連絡が入り救助された。 左足首を骨折したものの、無事救助に至った経緯には幸運な偶然の積み重ねがあり、報道されたような、たった一言の「道迷い」とか「幸運」ですまされない教訓が潜んでいると感じた。 今回、志賀高原側の情報では、冒頭で陳べた同じポイントからガラン沢に進入したようだ。 遭難者発見地点までの直線距離は約5.5Kmで標高差960m。 この数値だけを見れば大した距離でないと思われるが、実際は、急斜面・雪・氷・滝・ゴルジュ・沢水に阻まれ大変な苦労があったものと推測されるが、ある筋からの情報では、取水小屋に到着するまでの内容に関しては希薄であった。 ただ、7m位の滝を落下しスキーを折り、左足首を骨折。 同時に服を濡らしてしまい携帯電話を故障させた事。 夜、倒木の下、雪のない草の上で、雨をしのぎビバーグし、自らの尿で暖を取った事などが唯一の状況を知る手がかりである。 翌(23日)、明るくなってから歩き始めて昼、12時30分に取水小屋にたどり着いた時系列から、落下した7m位の滝は黒ゼンの滝であったと推測される。 この滝より上流では熊淵の難場があるが、今の時期では雪に埋まり難なく通過できるし、突然現れる直瀑の滝は源流部から滑り降りてきて初めて出会うこの滝しか考えられないからだ。 (以降、この黒ゼンの滝から下流ローソク岩までを除けば、取水小屋のあるキノコ沢出合いまで、難場はない。注:地図は黒ゼンの滝ページの冒頭参照) 取水小屋のあるキノコ沢出合い堰堤の貯水池に再び転落し、びしょ濡れになったが、人工物にたどり着いた安堵感は濡れた体を惨めにさせる気分を凌駕した事であろう。 アミ入りガラスを単管で破り、備え付けの電話に手をかけたときには生きている喜びを実感したに違いない。 この感想に反して、遭難者にインタビューした内容での、当人は冷静であったという言は、ある種の反動発言と捉えた。 強いて言えば、経験不足と照れからくる強がり。 実際は、EUのスキー場と日本の相違を知り得なかったM君に問題がある。 特に日本のような山岳地帯では、迷ったら引き返すのが原則なのだ。 猛省してもらいたい。 (あれ?オランダにスキー場あったっけ?←無知故の慢心不遜な心の声:他者を批判するのは難しい) その後、遭難者と確認するまでもたつきがあったものの、施設をフル動員して救助した経緯は聞き取りの限り問題ない。 ただ、気になる所が2点ほどある。
事実を知るに連れ、初動体制時の組織編成や情報網の甘さが去年の野反湖父娘遭難と同じであった事に気付いた。 それは、今回の遭難が、目と鼻の先の事であったにもかかわらず、私が遭難を知ったのが、数日後であった事実と無関係ではない。 今回、翌日救助となり世間に広く知られることなく終了した事で、その甘さを認識させるに至らなかったのは、救助された事実と違った次元で、残念である。 冒頭、志賀高原の過去の事例を出したのは、結果的に人騒がせな旅館遭難であろうが関係者(スキー場・ホテル旅館・交通機関・各種サービス)に情報を流し、そこから情報を汲み上げる体制。 末端でも状況によりフレキシブルに対応する事を許す組織体制の良き事例であったと思ったからだ。 『何でよそ者のために我々が苦労しなければならないのか』 そんな、歪んだ義憤から、『我々が飯の種としている観光には遭難は二律背反として 常につきまとう』と、いきなりシフトしろとは言わない。 が、経験から学び、次回に活かす位の工夫が出来ないものか? 志賀高原も20年近くかかったと言われただけに多くは望めないが…。 参考までに、当時の尻焼温泉の気温データを示す。 情報収集にあたり、関係諸氏の協力がありました。 この場で感謝致します。
早速、有益な提案を頂きました。
99年に志賀高原の遭対協が刷新したガラン沢の誘導案内板。 下の画像では地表近くにありますが、実際には積雪を考慮した地点に掲げています。 これにも応用できそうです。
今回の遭難者が、この案内板を目にしたかは解りませんが、確認したとしても日本語表記なので理解不能であったでしょう。 |
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