山からの声2003


ご意見、ご希望、ご感想、お待ちしております。

03/05/28「野反湖・三壁山遭難」に関する考察。(草稿中、乱筆無礼)

 救助された昼過ぎ、静かになった山で冷静に原因を見極めようと遭難者と同じルートで三壁山に登った。

 三壁山山頂直下の雪代を見た私は言葉を失った。
結論を先に述べるなら、遭難は『起こるべくして起こった』と感じたのだ。例の痕跡まで付近を探索したその考察を述べる。

下の画像は、三壁山山頂から約100m野反湖ロッジ(ダムサイト)側に向かった地点。

この場に立ち止まったあなたは、どちらに進路を取りますか?

野反湖ロッジへ降りる登山道は、ルート画像の水色線。
そして、 遭難者が進んだであろう進路は同画像の赤色線。

ルート画像
ポイント画像

 最初に断っておくが、遭難者を擁護するための記載ではない。ただ、事実関係と遭難に至った経緯を客観的に自分なりにまとめたかったからで、他意はない。

 では、赤色線に進路を取った根拠をポイント画像を元に説明する。

1.正規ルートを見落とした根拠、

1−1.三壁山山頂は、E−C方向の延長線上にあり、野反湖ロッジへ降りる登山道の尾根は、ルート画像の水色線上。つまり、右に派生しているが、Bでは雪で笹が倒伏し、本来なら表土が出ている登山道を隠している。

1−2.Aの赤色ビニールテープは今回の捜索で付けられたが、CからBへは、キックステップを要する落差が1m近くある。

1−3.Cは、捜索者が捨てた杖である。(便宜上立てたが今はない)そこは標高1950m地点で、C−D−Eは、三引山に向かう尾根であるが、画像で解るように稜線上には木が無く開けた感じで明るく、雪代がまるで道路のように三引山方向へのびている。

1−4.画像では解りづらいが、C−D−Eは、実際には下り勾配である。D地点で本来の登山道に目を凝らしたが、登山道より下がっている事もあり、登山道を確認できるようなものは何も無く、さらに、登山道は樹林帯にあるため暗い印象を受けた。(あまのじゃくの私でも初見の地であれば、暗い樹林帯に登山道があるとは思わないだろう)

2.誤ったルートに突入した根拠、

2−1.Fの稜線は三引山であるが、E地点まで来ると、展望が利けば(当日は好天であったと遭難者が述べている)三引山に近づくことに不安を感じ始める頃で、雪代の切れている右下に(偶然とは恐ろしいもので、)登山道らしきものが見えてくる。実際には空堀(涸れルンゼ)で、千沢支流の焼沢の源流部であり、しばらく降りると再度雪渓となる。しかし、遭難者が既に三引山への尾根に突入している事を意識しておらず、現在立っている尾根は野反湖ロッジへ降りる登山道の尾根と思いこんでいたら・・・。その空堀は野反湖に注ぎ込む金山沢(ニシブタ沢の北にある沢、エアリアには記載されている)の源流部と勘違いしても不思議ではない。まさに、野反湖ロッジへの最短であると。

2−2.上記の根拠は、記者会見の内容で遭難者は経験を積んだ登山者であると確信したからだ。実際、そのまま降下したら野反湖に出られると思ったと答えている。(火の熾し方を聞いた限りでは、バリエーションまでこなすとは思えない)

2−3.釣り人が残した痕跡で、鉈跡とかテープが登山道から外れた所にあるのは認識している。これらは地元の釣り人が秘密のルートとしてささやかな思いを持って付けられたルートでその印に惑わされた事も考えられる。(98/05/31「反省も込めて其の二」)に関連。

3.総括、

 下りの際、複数からなる尾根では迷いやすいと言われているが、今回の遭難では、遭難者がファミリー登山であるがため十分な能力を持っていないと捉えている事と、同伴者に15歳の娘がいる事で比較的同情的であったため、近年の傾向である遭難者に鞭打つ様な発言はメディアの中では見られなかった。(私の知っている範囲)

 誰も遭難したくて遭難しているわけではない。遭難に至るメカニズムを検証せず外野がとやかく言うのは無責任だ。かく言う私は表沙汰になっていないものの、同じ2千メートル級の藪山で一晩明かした大馬鹿者である。96/07/18「遭難でしょ?」 を参照。

 しかし、不思議に思う事がある。
あの現場に関して、雪が全て溶ければ、笹が起きあがり登山道が明確になり何の対策も必要ないだろうが、連日、捜索した捜対協(今回は消防団のみ)・警察と、登山道を実際に管理する関係者(役場、野反湖ロッジ)が、あの現場をそのままにして、何の対策も講じていなかった事だ。

 確かに、Aの様に赤色ビニールテープをブラ下げてはいるものの、三壁山山頂から野反湖ロッジ方面へ降りる登山道からは、Aのビニールテープは死角となり意味を成さない。逆に、野反湖ロッジから三壁山山頂へ登る場合、赤色のビニールテープが無くとも迷うことはないのだ。

 登山者の目線と立場であの現場を捉えるという観点が欠如している。早速、当日下山後、野反湖ロッジと村役場に対策を講じるよう要請した。近日中にも「際物である遭難した山に登ろう」と考える人もいるはずである。あの状態では、また同じメカニズムで遭難が起こっても不思議ではない。(03/05/31、季節はずれの台風で今日は土砂降り。よってラッキーというか、週末は登山には適しない)

 しかも、C−D−Eへと続く雪代には今回の捜索で大勢の足跡が残されているのだ。確かに2カ所に一辺1mで赤色ペンキで×印が雪上に記されていたが、見落とす事もあるだろうし、雪が溶ける内に読めなくなる。メジャーな雪渓ルートの様に頻繁に手入れするとでも言うのか?野反湖をベースとした観光村として飯を食っていくというのに、そんなことで勤まるのか?大いに疑問だ。個人経営の山小屋だって事故や遭難を防止するため登山道を手入れするは常識なのだ。

 ここに至れば、過去の教訓(97/10/24「過去の資料から」 )を活かし切れないもどかしさに虚脱感を覚える。

最後に、

 救助されるまでの足取りを埋めるためには 遭難者へ直接インタビューするしかない。
そこまで至ると、私の分を越えた事であるので、此処までとする。(いずれ山と渓谷社あたりが特集で公開するだろう)

 また、雪代を歩く際に注意しても避けられない意外な危険がある。
雪の重みで倒されていた小径木の木が突然ムチのようにしなりながら立ち上がる事があるのだ。枝先が運悪く急所に当たれば命に関わる事もある。残雪の怖さはこんな所にも潜んでいる。

このページの内容は、私、「じねん」が所有します。
当ホームページの文章・画面の全体、または一部を無断で他のホームページ、
または雑誌等に掲載・転載することは堅くお断りいたします。

掲載に関して、何らかの代償を求めるつもりはありません、
必ずメールで連絡して下さい。


ご意見、ご希望、ご感想、お待ちしております。

六合村周辺の山々と渓谷  自然(じねん)のTopページへ