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前回(99/09/27)毛無峠を登った際、御飯岳へ続く真新しい刈り払い跡があった。時刻は5時を回っており登山道の状況を確認するには至らなかった。 御飯岳(おめしだけ)への登山道も20年近く廃棄されていると聞いていたので、あの<真新しい刈り払い跡>が気になって仕方がない。山頂まで刈り払われたのか?見える範囲だけなのか? もうじっとしていられない。それに、破風岳−土鍋山のピストンだけではもの足りない。毛無峠を起点に<破風岳、土鍋山のピストン>と<毛無山、御飯岳のピストン>のダブルピストンが可能ならば、登山と呼べるにふさわしく、また、人にも紹介できるというものだ。 ということで、毛無峠で早昼飯とし歩きだす。 毛無山への登山口には道標も無ければ、山肌も所々大きくハゲていて明確な道はない。この<ハゲ>は自然に出来たものでなく、ブドウ採りが大勢はいるために出来たもので、<ハゲ>以外にも毛無山山頂まで<ブドウ採り>が付けた道が縦横にあり濃霧時には慎重に歩きたい。 唯一目印となるのは、5基の廃棄された索道の支柱だけである。真ん中の支柱の脇を抜けていく。 毛無山山頂にはプレートや表示板の類はなく高さ1mくらいのケルンがあるだけである。木もハイマツより高いものはなく、足元には一面ガンコウラン。他には白根ブドウ、コケモモ、シラタマも生えているが、圧倒的にガンコウランが優勢だ。 かつて、毛無峠もガンコウランが一面に生え、緑の絨毯のようであったと聞いたが、現在は車が入り大勢の人に踏まれ表土も流れ見る影もない。 御飯岳へは北側から鞍部に降り、牧草と笹の混成した草原地帯を抜け再び登りとなる。少し登りあげた肩の部分では畳4枚分くらい笹が刈り込まれている。 ここからは植生が一変し樹林帯となる。強風地帯を抜けた証だ。樹林帯を抜け、背の高い笹地帯を抜けると再び背の低い樹林帯となる。 ここで道が二手に分かれている。標高2025m付近だ。一方は下り気味で地形図にも載っていない。砂防工事関係の道であろう。迷わず登り気味の道に進路をとる。 しばらく平坦な道となる。目印のテープが数多くあり、ヤブ山時に大勢の登山者があったと推測できる。 登り気味となったところで再び広く刈り払われた所に出る。歩き始めて1時間たったところで絶好の休憩ポイントだ。 背の高い笹地帯を抜けると急登となるが、トウグワでキックステップの要領で掘ってあるので登りやすい。5m程下って再び登りあげるが、山頂が近いせいか心なし刈りが荒い。 大きな岩を2つ乗ッ越し平坦な道をしばらく行くと御飯岳山頂だ。 山頂には1枚のプレートのみで、三角点を中心に畳10畳ほどが刈り込まれている。晴れているのは万座方面だけで、万座スキー場、白根、元白根が見えるのみである。 老ノ倉峠方面への道は完全消滅でヤブと化している。 南側の一部が刈り込まれていて、少し降りたところが展望が利きそうである。 一瞬であったが、破風岳、土鍋山、四阿山、毛無峠が確認できた。景観申し分なし。カメラに収めようと20分程粘ったが樋沢川から次から次へと雲が登って来る。そのうち一面ガスとなりあきらめて下ることにした。 登山道は幅60cm程で足元は踏む幅しか刈り込んでいない。つまりVカットしているのだ。登山者が少ない登山道ではこの様な刈り方が最良と思われる。踏み場を一定化することで、登山道の保全化に貢献するからだ。 登り初めは風が少し強いものの長野県側だけ展望が利かないだけであったが、帰路毛無山を通過する頃には視界10mくらいで小石が飛ぶくらいの強風となっていた。 最後に。ここは特に天候の変わりやすい地形だということを肝に銘じて楽しんでもらいたい。 標準コースタイム。 毛無峠−(20分)→毛無山−(1:20分)→御飯岳 御飯岳−(60分)→毛無山−(15分)→毛無峠
追記:山名に関して新事実が判明しました。西暦山?となっている<破風岳> には2つの名前と標高があるそうです。 毛無峠から見ると<破風岳>はミミズクの頭状で、右(北綾)に見える頭が<破風岳>で、左(南陵)の頭が<破風山>だそうです。(うーん奥が深い!・・・だから面白 い!) しかも、実測では北稜の<破風岳>標高は1990mで、(注:1999mではない)南陵の<破風山>標高は2006mだそうである。これに関しては???です。 山名、地名等は地域性、時代性のそれぞれの特色があり、突き詰めていくとそれなりの意味があり尊重していきたい・・・・・が、にわか売名行為は論外(一生かけろ!) 私は地形図重視の山歩貧乏人。(乞食じゃありませんョ。念のため)道標、表示板、の類に随分意地悪されましたが、恨んでいません。(その時代では正確であったり、沢のように右と左岸が見る方向で違ったり・・・で、それなりに面白い)。 それよりも、作業道、巡視路、いわゆる一般登山者は進入禁止となっている<作業道>と<登山道>がいつの間にかごちゃ混ぜになってしまった現状がおかしいんじゃないかな?
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破風岳、土鍋山は共に標高1999m。今年の西暦と同じくし、しかも連座しており往復2時間で行って来られるお手軽な山である。 破風岳から土鍋山への登山道は荒廃し全くのヤブ山と化していた。しかし、この西暦と同じ山に登るという試みが静かなブームのようで、多数の問い合わせや要望により、土鍋山への登山道が復活した。 毛無峠には自宅から車で約1時間半。朝から取りかかっていた草刈り機の修理が思いの外早く終了したので、午後からこの二座に登ることにした。以下その記録である。 14:05 1823m 毛無峠出発。 しばらくはなだらかな笹原の草原地帯。途中男性1名女性5名の中高年登山者の集団とすれ違う。毛無峠から見ると、この最初の登り上げは急に見えるが実はそれほどでもない。何故ならば、11ヶ所近いつづら折りの折り返しがあるからだ。実に快適である。 14:24 1960m 第一分岐通過。 この分岐を便宜上第一分岐とする。この分岐には、「←土鍋山」と「破風岳→」の道標がある。 14:25 1970m 第二分岐通過。 この分岐を便宜上第二分岐とする。この分岐には、「破風岳山頂」への道標しかない。 14:27 1999m 破風岳着。
金属製のポールに真鍮製の真新しいプレートがあり、裏には「99年7月、須坂商工会議所青年部」とあるが、何故か足元には郵便受けが・・・。その隣には白い木製の杭が立っている。 こちらには「高山村制施40周年記念1999.9.9」とある。また、4m程離れたところにも木製の白い杭があるが、これには「破風岳1999.9.9.9人」とある。なんと、9が6個も続いている。この杭の裏や側面には登頂者の署名が所狭しと書き留められている。( 日本人と韓国人ほど落書きの好きな国民はいないのではないだろうか) 追加事項は99/10/10「暗い山行」へ。
景観は北面が切り立っており眼下の景色が圧巻である。西方は雲が懸かり残念ながら須坂市しか展望が利かなかったが、晴れていれば北アルプスへの眺望が効くはずである。頂上は大勢の人に踏まれ10人位はゆっくりと休憩できそうである。 14:30 出発。 14:32 1970m 第二分岐通過。 この分岐には土鍋山への道標がないが、水平道(南西方向)を進む。 14:33 1970m 第三分岐通過。 この分岐を便宜上第三分岐とする。第二分岐から水平道を進むと約100mの所にこの第三分岐がある。ここには略図付きの須坂遭対協の白い看板があるが、略図が古く第二分岐から第三分岐の水平道の表記がない。しかも、第三分岐から第一分岐への下り登山道は距離は短いものの人の歩いた形跡が無く笹で覆われているので、始めてくる人は??と迷うところである。 このあたりから登山道に水がしみ出し少々歩きづらい。また、酸性霧の影響か栂の立ち枯れも目立ちそれに伴う風倒木もあるが、登山道は概ね片付き歩くのには支障ない。 14:37 1985m 広い稜線のピーク(特徴無し)通過。 ピークを過ぎると下り気味となっている。 14:38 1980m ゲート通過。 左にTVアンテナを見、しばらく行くと木製のゲートがある。傍らには「放牧中、開放厳禁」とある。乳山牧場で放牧している牛が逃げ出さないための措置だが、五味池や土鍋山への道標も無く登山者を拒否しているようで気の弱い人ならここで引き返してしまうであろう。 14:42 1950m 五味池分岐通過。 第一分岐からこの分岐まで土鍋山への道標が無く道標を頼りに歩く人々にとっては心細くなるところだ。 土鍋山への真新しい登山道の脇には須坂遭対協の「遭難多発地域」の看板がデンと立っている。刈り払われて間もない道ではあるが良く踏まれ歩きやすく登山者の多さを物語っている。これよりしばらく鞍部を目指して下る。正面に土鍋山を確認する頃、古い黄色の看板(20×50cm)が目に留まる。かつて営林署が登山道を整備していた頃の看板であろう。 赤字を理由に登山道(当時は巡視路と呼ばれていた)整備を放棄したおかげで古道が消滅した罪は誰が負うのだろう。 14:48 1910m 最低鞍部通過。 小串鉱山跡がよく見える。三カ年計画で毛無峠から嬬恋村干俣まで車道を開ける予定であると聞いた。これにより鉱山跡が何らかの開発されることだろう。 14:51 1915m 「土鍋山あと20分ガンバロー」なる手書きの看板通過。 14:57 1970m 頂上直下通過。 頂上直下、標高差15m付近はシャクナゲと岩場の悪場。悪場の区間も短く注意して歩けば特に問題なし。途中2ヶ所カモシカ道と旧道が交差しているが、共に道標があるため安心できる。 15:00 1999.4m 土鍋山到着。
浦倉山方面へ道跡があるが三角点まででその先はない。一番高い地点には古い看板が栂の木に打ち付けられており日付は1972年と読みとれる。また、その木の根本には5×4cmの鉄製の古いプレートがマイナスビス4本で打ち付けられているが判読不明である。 少し離れたところに新しい杭。その隣に破風岳山頂と同じ金属製のプレートがあり、同じく郵便受けも。遂に好奇心を抑えきれず郵便受けの中を覗く。中には一冊のノートが入っていた。「土鍋山登頂記録、ご自由にお書き下さい」とある。 記録は1999年7月11日に始まり、「20世紀最後の環境事業として青年部活動に参加。50歳の記念に登頂、あいにくの天候であるが気分は最高」とある。50歳で青年部???いずこも同じか。最近では9月26日で終わっている。書き込みは私の趣味ではないのでそのまま郵便受けに戻す。 山頂は広く平らであるが、笹が茂り展望も少なく休憩には適さない。土鍋山寄りの鞍部付近か破風岳山頂が休憩には適している。 15:08 出発。 15:18 1910m 最低鞍部通過。 15:24 1950m 五味池分岐通過。 分岐直前の登山道に25cm角厚さ1.5cmビス穴3個の鉄板があった。何だろう?索道の部品か? 15:28 1980m ゲート通過。 10年ほど前、毛無峠まで来た際、破風岳から2頭の牛が降りてきた。当時乳山牧場の存在を知らなかった私は不思議な光景に見とれていたことを覚えている。不思議であるが不自然と思えないほど周りの景色と牛がぴったりマッチしていたことを。 しばらくすると、牧童が降りてきて事実を知ることとなった。牧童は牧場から逃げたと云うが、牛は逃げたのではなく旨い草を求めて降りてきたのだ。 15:32 1970m 第三分岐通過。 本来ならば、ここから第一分岐に向かって降りていくのだが破風岳山頂のプレートの写真撮影を忘れていたので、もう一度破風岳山頂(第二分岐)へ進路をとる。 15:34 1970m 第二分岐通過。 ここで一人の男性ハイカーと出会う。「土鍋山に行くのに例のゲートを通過しても良いのだろうか」と問いかけてくる。私は「他に道も無し、通過する際ゲートを元に戻せば問題ないはず。ここからだと往復一時間で行って来られるから是非行った方がよい」と進言する。やはりあのゲートがネックとなっているようだ。本日二度目の破風岳山頂を踏み写真撮影後、直ちに下る。 15:40 1970m 第二分岐通過。 15:41 1960m 第一分岐通過。 15:55 1823m 毛無峠着。 標準コースタイム。 毛無峠−(25分)→破風岳−(35分)→土鍋山 土鍋山−(35分)→破風岳−(20分)→毛無峠 追記:お手軽とはいえ2000級の山です。しっかりした防寒対策をとって下さい。また、<破風>、<毛無>と山名から想像出来るとおり風の強いところです。防風対策も万全に。 |
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やっと、四阿山に行く事が出来ました。日本百名山と呼ばれるだけの山として恥ずかしくない山であることを再確認でき、満足しました。鳥居峠から往復の単独峰登頂でなく、根子岳からの縦走が今回の満足感に大いに関与していると思われます。「縦走しないと、もったいない!」が、正直な感想です。 ただし、この時期にアイゼンは必須です。特に大勢の登山者がある2000m級の登山道は、アイスバーンとなっており、とても危険です。私は履き馴れたスパイク付きの防寒長靴だったので、さほど苦労はしなかった。しかし、縦走中15人くらいの登山者と行き会ったのですが、驚いたことにアイゼンを装着すべき場所で装着している人がいない。さらに低山登山のような軽装の人、地図も持たず「菅平にはこの道でよろしいのでしょうか?」と人任せな人、事故が起きないのが不思議になりました。 実際、登山マップやガイド書だってあてにならないのに。もう「それ以前に問題あり」と痛感。「初冬の登山は、装備の面や天候の面で判断が難しい」と肝に銘じて望んでほしい。 まあ、批判めいたことはこれまでにして。感心したことがあります。それは、ゴミが非常に少ない事。ゴミが無いことがあたりまえではありますが、現実はみなさんがご存じの通りです。それが菅平牧場管理事務所−根子岳−四阿山−鳥居峠間に限っていえば、感心するほど気持ちよく歩くことが出来ました。きっと地元の人々の陰の努力があったのでしょう。この状態が、地元の人々の陰の努力無しに継続できれば、すばらしいことですね。 前置きが長くなりました。山行記を始めます。 7:30 自宅を2台の車で出る。 8:40 鳥居峠。1台の車をドライブイン駐車場に駐車。車の監視料(300円)なるものを払い、もう1台の車に便乗し、日本ダボス前、別荘地の中を通過し菅平牧場管理事務所へ。 9:05 菅平牧場管理事務所前に車を駐車し出発。最高の天気の中、途中何度も後ろを振り返り牧草地の柵に沿って歩く。妙高山から始まり北アルプス、中央アルプス、富士山までの眺望がすばらしい。この辺りにはマツムシ草の群落があるそうだ。30分も歩くとダケカンバの幼木林となり山座同定しながら小休止。 風は冷たいが、すがすがしい。これからの行程に期待がもてる。根子岳山頂直下より高さ1.5m位の道標(至 根子岳と表記)が約10m間隔で山頂まで数本立っている。山頂までダケカンバの幼木林以外特に目立つ木や目印が無く、冬季間ガスった時に役にたつのだろう。 10:30 根子岳山頂(2207m)。すでに一組二人が登頂している。石作りの祠に一礼し早めの昼食とする。
その間途中追い越した二組以外に四組、合計三十人位、山頂に立つ。山頂はなだらかなガレで大勢の人々でにぎやかになる。少し北側に行くと米子不動尊鉱山跡が見える。稜線は根子岳から四阿山、浦倉山と、外輪山を形成しているのが一目瞭然で勇壮な光景である。四阿山までは一度170m程降下し、鞍部より再度300m以上登りあげなければならない。 11:15 根子岳山頂出発。100m程で南面がキレットになり岩場となる。これが面白い、さほど危険ではないが山登りした気分になれる。下り始めの正規ルートは大岩の北側、樹林帯に下りているが、これがアイスバーンとなり非常に危険。南側の乾いたテーブル状のテラスを歩けば簡単に抜けられる。下りの途中珍しい岩がある。直径40センチから1メートル位の円柱状の岩が地面から生えているように見える。木の化石かと思えば、どうも高温の溶岩がゆっくり冷えて出来た柱状節理らしい。デビルスタワーのミニチュアのようだ。
鞍部は笹の草原地帯で最低部には地塘跡らしきものがある。登りから樹林帯となる。これから約250mの登りは今回一番苦労したところだ。日の当たらない樹林帯には積雪もあり、ルートは圧雪され、ガチガチのアイスバーン。ほとんど氷で、同行者は「キックステップも利かない」と嘆く。テープスリングをねじり、登山靴に巻く。この路面ではビブラムのソールより少しは滑り止めになるようだ。それにしても登りでよかった。樹林帯を抜け開けたザレ場に出ると中四阿への分岐だ。 12:20 中四阿分岐(2280m)。この分岐には明確な道標がない、注意したい。5分程登ったところが鳥居峠への下りの分岐だ。北側の斜面は霧氷となり景観がさらに増す。四阿高原別荘地(四阿温泉、四阿高原ホテル)に降りるルートは、鳥居峠側に降った所にある。 12:30 四阿山山頂(2354m)。山頂は細長い尾根で、たくさんの祠がある。まず、嬬恋村側に向いた上州祠があり、中央には石作りの室がる。その先に菅平に向かった信州祠がりその他にも石宮が点在し、神聖な領域を感じさせられる。なお三角点はこの領域に遠慮したのかさらに奥の一段下がった所にある。 それにしても眺望がすばらしい。眼下には田代湖、バラギ湖、浅間山の裾野が広がり。遠くは、上毛三山、日光連山、谷川岳。長野県側では草津白根山、北・中央・南アルプスの高峰に富士山。一カ所で体をぐるりと回すだけで360度の大パノラマを満喫できる。なお浦倉山への登山道も整備され、その途中から茨木山を経てバラギ湖へ下る登山道もある。 13:05 四阿山山頂出発。鳥居峠を目指す。登ってきた道のすぐ下のガレ場が鳥居峠への下りの分岐だ。尾根に沿って下り始めて10分程の樹林帯に「妻恋清水」と書いた看板がある。踏み跡に沿って歩くと約3分程で水場に出る。 本行程中の唯一の水場で、大横川の源流である。水はたっぷりあるので確認だけし、登山道に引き返す。さらに下ると、両サイドが切れ落ちたガレ場に出る。馬の背は広く危険ではない。風の通り道なのだろう、草が一様に同じ方向にしなっている。石宮が登山沿いに点在している。はて?何基あるのか数えてみよう。 13:50 吉永井分岐。分岐の尾根のピークに休憩舎があり、その下は広いガレ場となっている。これより尾根は二手に分かれ、ガレに沿って下りて行くと的岩コースとなる。今回歩いた上州古道と呼ばれるコースは左側にある。明確な道標が無く注意したい。後続のパーティが的岩方面に向かう。 14:20 花童子の宮跡。ここにも休憩舎がある。花童子の宮跡には石囲いの中に倒れた古い柱が数本積んであり、石段・石塔・鳥居跡の様なものもある。小規模ながら立派な社であったと推測できる。現在は木道で整備されているが、花童子なるものについて何の説明もされていない。 後に調べたところ嬬恋村村誌に「この付近は天狗の巣で村の人々が雨乞いを行うと三尺程の童子が現れ、この童子が現れると雨が降った。」と、あるだけで、詳しいことは解らない。・・・知っている方はメール下さい! 木道で15分程小休止。落葉しているので西の稜線に的岩がよく見える。2.5万図にはここから的岩まで登山道が表記されているが現在は無い。再出発。しばらく下って火山礫の露出した鞍部に出ると、賽の河原だ。これより尾根から外れ西側の沢側に下る。 14:55 林道終点。的岩コースと合流している。先の吉永井分岐で分かれたパーティと合流する。聴けば、「登りは上州古道を歩いたので、下りは的岩コースにした。整備もよく歩きやすい。」とのこと。どちらを下っても私たちと再合流したところを見ると、時間的に変わらないみたいだ。カラマツ林の中の林道を歩く。5分程で右に分かれる分岐があるが、道標がない。 そばの道路標識に小さく黒マジックで「→鳥居峠」と誰かが書いている。まっすぐ行っても間違いなく鳥居峠に着くが、「砕石を敷いた車道より、こちらの方が歩きよい」と右に進路を取る。どうもこちらの方が本道(旧道)で、車道の方は新道のようだ。旧道をショートカットし林道を新しく作っても道標を整備しない。この辺りが登山者よりも、車を利用する業者優遇のスタイル。文化の低さが見えますね。 15:10 的岩山分岐。以前、この的岩山へのルートは笹藪で入る気がしなかったが、分岐から見る限り整備しているようだ。しかし、この付近一帯のカラマツ林で営林署が測量しているところを見ると、「笹刈りしているのは測量している一帯のみ」と、考えてしまう。それもこれも、前記した様に”文化の低さ”に対する防衛ととるか、あきらめととるか?人界に近づくと、だんだん卑屈な気分になるのは私だけであろうか? 15:40 鳥居峠。到着!ビールがうまい!!(んーーっ?、どこかで読んだような記述。それ以外に表現力が無いの?)
後記
四阿山山頂には昼食時でもあり大勢の登山者がお弁当を広げていた。約8割が女性だが、「この女性達が後20歳若ければ、それにつられた男性登山者が増えるなぁ」なんて変なことを考えてしまった。その彼女らから発せられた、今となっては”死語”とも云える「ヤッホー」を聴き、何か嬉しいような、こそばゆいような、なんとも云えない気分でした。 最後に、嬬恋村にはこの素晴らしい四阿山、それに付随する山岳信仰文化の遺産があり、羨ましく思う。 |
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菅平高原─(1:50)→小根子岳北肩部─(1:30)→米子不動尊─(2:20)→浦倉山─(0:50)→野地平─(0:40)→パルコールスキー場 「確かに登山道はある」と耳にしたが、国土地理院発行の地図や、その他のコースガイドを見ても、米子不動尊から浦倉山へのコースが記載されていない。今回は昭文社発行の山と高原地図にその新ルートのコースを紹介するための調査登山である。 峰の原ペンション村から菅平グリーンゴルフ場脇に向かうと、小さな管理小屋がある。そこで入山料を支払うのだが管理人が居ないのでそのまま避難小屋経由で小根子岳北肩部をめざす。とりつきの登山道はなだらかな勾配で草原地帯が続いている。夏期にはハンググライダーやパラグライダー、冬期にはツアースキーでにぎわうそうだ。 一休みしたくなった頃避難小屋に着く。12人位が泊まれる程の小屋で、手入れも行き届き薪も備えてありなかなか快適そうな小屋であるが残念ながら水場がなさそうだ。これより分岐となり、根子岳登山道はそのまま直登、米子不動尊への道は、左に巻いていく。ササの背が高くなりしばらく展望はよくない。稜線に近づくとササ原地帯となり北アルプスや長野市を眼下にし眺望がよくなる。 稜線では四阿山と浦倉山、根子岳が外輪山を形成しているのが一目瞭然で勇壮な光景を見ることができる。これより少々足場の悪い坂を急降下する。平坦部になると、極太根曲がり竹の中を歩くコースだ(整備されて藪こぎはない)。しかし整備されていることが仇となりタケノコ採りの人々によりゴミがあちこちに散乱し、焚き火の跡さえある。ハイカーでさえマナーが悪いのだからまして山菜採りとなればひどいものだ。何度も云うが、このHPを参考に山へ行く人は必ずマナーは守って下さい。命の次に。 しばらく歩くと米子不動尊瀑布の源流の沢を渡ることになるが、単管で造った橋が2カ所と、多少足場が悪いが、ワイヤーが張られていて、安心できる。いくつもの沢が合流し水量も増し両岸が狭くなった所を過ぎると、広場に出る。かつて2千名以上の住民が硫黄鉱山で暮らしていた米子鉱山跡だ。 このような場所に二千人以上の人々が暮らし小学校まであったとは、人間のバイタリシーに関心しつも圧倒される。現在では須坂市から車でこられる。米子不動尊には、夏期のみだが宿泊できる施設(現在は休憩のみ)が一軒あり、中低山登山のハイカーにとっては穴場中の穴場だろう。不動滝、権現滝の80m級の滝二本が身近に迫り観光客が見事な渓流美と紅葉を写真におさめている。昼食をとり鉱山跡を30分ほど散策し浦倉山をめざす。 先ほどの沢が狭くなった所に分岐がある。これより浦倉山への登山道は地図やその他のコースガイドにも記述されてなく藪こぎを覚悟していたが、最初の急登がきついくらいで後は整備もよくあっけないくらい優しい道である。樹林帯の中の沢で水を補給し登り上げていく。これほど整備された道が、どの地図やガイド書にも記述されていないのが不思議である。快適に樹林帯を登り上げると浦倉山の北鞍部に出る。これより浦倉山山頂をめざす。 浦倉山山頂では稜線沿いに四阿山に向かうコースと野地平に向かうコースに分岐している。今回は野地平に向かう。樹林帯の中をどんどん下ると野地平にでる。木道が整備され周回コースもあるが、そのままパルコールスキー場を目指して降りてゆく。 根子岳から小根子岳北肩部間だけコース整備すれば四阿山外輪一周コースが出来上がる。登山道が整備され大勢の登山客が来ればそれだけリスクがかかるのは当然である。しかし大規模な工事を行わないですみ、そこの自然を大勢の人々に知ってもらい自然環境の大切さを理解してもらうのも自然保護の一環ではないだろうか。尾瀬や上高地のように自然が破壊されるのは日本人独特のブランド志向で集まる人々で、良心的な登山者でないことと信じたい。 |
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